【小説】第二次大戦、「陸軍登戸研究所」ではこんな秘密兵器が作られていた…!

伊与原新『八月の銀の雪』の1編を公開【第4回】

地球惑星科学を専攻し、東京大学大学院博士課程を修了した異色の経歴を持つ小説家・伊与原新さん。最新作『八月の銀の雪』は、天文、気象、生物などがテーマに、科学のエッセンスが登場人物の傷ついた心を優しく包み込む物語です。本書収録の気象をテーマにした1編「十万年の西風」を5日連続掲載で公開します。

【前回のあらすじ】

海を眺めながら滝口と話していた辰朗は、勤めていた原発の保守・点検会社を退職したときのことを思い出していた。

退職のきっかけは、地震によって発生した配管の歪みを隠ぺいする「報告書の調整」に、加担させられそうになったことだった。内部告発も考えた辰朗だったが、同僚や部下、その家族の顔が頭をよぎった末、黙って退職願を出すことを選ぶ。

人間はどうして空とか風とか、のどかで平和なことだけに好奇心をむけていられないのかと辰朗が漏らすと、「風も、平和に使われるとは限らない」と滝口は語り始めた。

十万年の西風(4)

「え?」

「先の戦争でアメリカが原子爆弾を作り出そうとしていたとき、日本もまた、何とか戦局を好転させようと、独自の爆弾を開発していたんですよ。『風船爆弾』というのを、ご存じありませんか」

「ああ、知ってます。テレビで見ました。風船に爆弾を吊るして、アメリカまで飛ばそうってやつですよね。日本軍の苦し紛れの愚かな作戦、みたいな扱いだったと思うんですが」

「今は確かに、そういう見方をされることが多い。ですがあれは、馬鹿にして片付けられるようなものじゃないんです。もちろん兵器ですから、その存在を肯定するつもりはありません。ただ、風船爆弾は、日本発祥の科学と技術が、極めて日本的な方法で結晶化した、驚くべき産物でした」

そう言って滝口は、風船爆弾について詳しく教えてくれた。

 

それは、より正しく表現するならば、「気球兵器」だった。水素ガスをつめた直径十メートルの気球に焼夷弾と爆弾を吊るし、地上の基地から放つ。

気球に太平洋を渡らせるのは、上空に常に吹いている強い偏西風――いわゆるジェット気流だ。高度一万メートル付近で偏西風に乗った気球は、およそ二昼夜かけてアメリカ本土の西岸まで到達し、そこで自動的に爆弾を投下する。

街の破壊や山火事の誘発も目的としていたが、一番の狙いは、アメリカ国民の間に厭戦感を引き起こすことだったらしい。

開発を担当したのは、秘密戦、謀略戦の研究を専門におこなっていた、陸軍登戸研究所。一九四三年から急ピッチで進められた開発は、大学の研究者や企業の技術者を含め三百人以上が関わった、一大プロジェクトだった。

気圧計を搭載した巧妙な高度維持装置や、氷点下五十度という外気に耐えられる耐寒電池など、当時としては最先端の技術が投入された一方で、気球の球皮には、和紙をこんにゃく糊で貼り合わせた生地が使われた。つまり風船爆弾は、文字通り“紙風船”だったのだ。