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いつの間にか動き始めていた…「遺伝子の監視事業」の孕む本当の問題

「ゲノム医療」はひっくり返っている

ゲノム医療はものごとをひっくり返した言説だ。そして、ゲノムという言葉の濫用は混乱を招き、医療技術への過信をますます強くしている。それがこの連続記事の主張だ。前回までに、イレッサ®(一般名ゲフィチニブ)、オプジーボ®(一般名ニボルマブ)、キイトルーダ®(一般名ペムブロリズマブ)という薬を例に、上の主張を説明してきた。

最終回にあたる今回は、遺伝子情報を求める「全ゲノム解析」がたどった珍奇な顛末を紹介する。

目的不明な遺伝子パネル検査

実のところ「対象患者を慎重に選ばなければ効果もはっきりせず、深刻な副作用のおそれがある薬」を「個々の患者に細かく合わせた薬」と言い換えるのがプレシジョン・メディシンだ。それを成り立たせるための媒介項、すなわち薬に履かせる下駄が遺伝子変異というものだった(詳しくは第1回を参照)。

だから、遺伝子変異は拾えるだけ拾っておきたい。いろいろな種類の下駄が揃っていれば、どれかを履いてシンデレラになれる薬がいるかもしれない。そこで、たくさんの遺伝子変異を一度にチェックしようという考えが出てくる。

2019年6月に保険収載された「遺伝子パネル検査」はそういうものだ。細かい説明は省くが、要するに100以上の遺伝子変異を一度に調べる検査だ。現実には、ひとりの患者の選択肢となる薬に関わる遺伝子変異は、あってせいぜい数個だ。それくらいしか薬の種類がないからだ。だから、100以上も一度に調べたとしても、その大半は役に立つ可能性がない。

実際に遺伝子パネル検査を使ってみたという研究論文がある。これによると、248人が研究に参加して、検査をしたことで承認されている薬に出会った人は6人いた。参加者の2%あまりにあたる。はじめから使えそうな薬に対応する検査だけをした場合とどちらがいい結果になったかは、この研究では試していないのでわからない。

なぜこんなに大量の無駄な検査をするのだろうか。そこにはゲノム情報のレジストリ(データベース)構築という目論見がある。

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遺伝子の監視事業

遺伝子パネル検査には、検査を受けた人のデータを研究のために登録するというおまけがついている。治療の過程で得られた情報を研究にも活かそうという考えは、一見合理的に思えるかもしれない。そうやって遺伝子変異の巨大なデータベースを作ろうという構想が、2019年3月の厚生労働省の会議で語られている。

この会議は、遺伝子パネル検査から全ゲノム解析へ、また癌研究から難病研究へと、関心を横すべりに拡大させている。会議中の発言によれば、全ゲノム解析は遺伝子パネル検査とはまったく別の技術を使っている。

また、ここで言う難病とは潰瘍性大腸炎とか筋萎縮性側索硬化症(ALS)とかパーキンソン病のことなのだが、当然ながらそれぞれぜんぜん別の病気だ。十把一絡げに扱えるような共通点はどこにもないし、癌と似ているところもない。しかし、そんな断絶を軽々と飛び越えて、あくまで議論は拡大へと向かう。そんなに拡大してなにがしたいのか。

結論から言って、巨大なデータベースにはきわめて大きな産業利用の可能性がある(どのような可能性かは後述する)。それを知ってか知らでか、ある議員はこう発言している。

このような国レベルでの患者のゲノム情報のレジストリがあれば、海外の製薬会社がアジアでは日本で臨床試験をやりたいと思ってくれるのではないかと思います。

国が患者の個人情報を売りに出して海外の製薬会社を誘致する。それが目的だと白昼堂々語られている。1990年代に発展途上国で行われた非倫理的な研究は忘れられているようだ。

そして検査の名を借りた国民データベース化事業は、さらなる拡大に向けて歩を進めることになる。