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年収100万の貧困家庭で育った私が経験した、ヤバい「格安シェアハウス生活」

貧困家庭の衣食「住」

私の父は精神障害がある上、複数回の事故や病気による手術で体が弱い。障害者雇用やアルバイトを転々とし、時に無職だったこともある。そんな状況の中、姉を含む4人で暮らしていた。

年収100万円の貧困家庭で育った私の体験を書き綴った記事をnoteで出したところ、たくさんの声が寄せられた。賛否含めて、多数の反響をいただいたことをキッカケに、現代ビジネスでも『年収100万の貧困家庭で育った私が、「穴あき下着」で過ごした青春時代』を寄稿させていただいた。

私のような貧困家庭に育った人の実態をもっと知ってもらうために、今回は衣食住の「住」について紹介していきたい。

他の子とは明らかに違っていた

私の家族が住んでいたのは、地方の家賃1万5千円の県営住宅だった。

片田舎のさらに山奥、白くて同じ形をした家が立ち並ぶ。そこに住み、同じ小学校に通う友達が何人かいたため、お互いの家をよく行き来していた。

県営住宅に住む子どもたちの暮らしぶりを見て不思議だったのが、どの家も片付けができておらず雑然としていることだった。

私の家も常に汚くて、カビがそこらじゅうに生え、床が抜け落ちていた。6畳のリビングにはモノが溢れ、残った狭いスペースで両親と寝ていた。

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同級生には祖父母が農家を営んでいる家も多く、そんな子たちは立派な一軒家に住んでいた。県営住宅以外に住む子どもたちの家は綺麗に整えられており、本やゲームも豊富で、必ずピアノ教室やバレーボールクラブなど習い事もしていた。

一方、県営住宅に住む子どもたちは、いつも兄弟で喧嘩が絶えなくて、素行が悪くて有名だった。その後の進路は定時制高校に進むか中卒で就職するケースがほとんどで、大学に行った人は一人もいない。

 

今振り返ると、私をはじめ県営住宅に住む友達は、普通と何かが違っていた。

みなランドセルがお下がりで傷だらけ。あちこち皮が剥がれた物を使っている子もいた。保健室の先生から防寒着や長靴、給食のあまりのパンや牛乳を受け取っているのを見たこともある。

その理由を明確に述べるのは難しいが、やはり低所得者が集まり、一般的な家庭との違いが様々な面で如実に表れていたということなのだろう。