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普通の薬を“期待の新薬”に変える「病名文学」とはなにか?

「ゲノム医療」はひっくり返っている

ゲノム医療、あるいはプレシジョン・メディシンは、ものごとをひっくり返した言説だ。その根底にはゲノムという言葉にまつわる混乱がある。この記事は全3回でそのことを説明する。

前回は、イレッサ®(一般名ゲフィチニブ)という薬を例として、「遺伝子検査で適した薬を選ぶ」という操作が、薬の成績をよくするために対象者を絞り込む操作でもあることを説明した。また、ノーベル賞で知られるオプジーボ®(一般名ニボルマブ)が、イレッサと似た濫用と副作用の歴史をたどっていることを指摘した。

第2回の今回は、ゲノム医療のひっくり返った言説をさらに追うために、もうひとつの薬の歴史を紹介する。

 

弟に追い抜かれたオプジーボ

2017年、オプジーボと同じPD-1を標的とするキイトルーダ®(一般名ペムブロリズマブ)が登場した。オプジーボとキイトルーダはよく似た薬だ。どれくらい似ているかと言うと、オプジーボの製造販売元がキイトルーダは知的財産権の侵害だとして訴訟を起こし、キイトルーダが使われるごとにリベートを受け取る契約を勝ち取ったくらいだ。

兄弟のようによく似た薬のオプジーボとキイトルーダだが、最近の人気は弟のキイトルーダが優勢だ。ある調査によれば、オプジーボの国内年間売上は2016年に最大の1079億円を記録したが、キイトルーダが登場して2年ほどでオプジーボを追い抜き、2019年には1284億円を売り上げてすべての医療用医薬品の中でもトップに立った。同じ2019年にオプジーボの売上は若干減らして982億円だった。

なぜオプジーボがキイトルーダに負けたのだろうか? そこには現代の新薬開発を支配する「病名文学」が働いている。まずは事実を追ってみよう。

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「ほかの薬が効かなかった癌にも効いた」の意味は?

もともとオプジーボを肺癌に使う場合、ほかの薬を使ってみたうえで効かなかった場合にだけ使うこととされていた。この場合、オプジーボは二番手の治療という意味でセカンドラインと呼ばれる。最初に使った薬はファーストラインだ。

ちょっと脱線して考えてみてほしいのだが、ファーストラインとセカンドラインは、どちらが良い薬だろうか。言い換えれば、医師の手元に複数の薬があるとき、ファーストラインで使う薬はどれだろうか。普通は、一番よく効きそうで副作用も少なそうな薬をまず使う。

薬の効き目は単純に順位付けできるものではなく、A薬が効かなかった人にB薬が効いたかと思えば、B薬が効かなかった人にA薬が効くこともある。そういう場合、統計的に効く確率が高いほうの薬をまず使う。だから、ファーストラインのA薬が効かなかった人にB薬が効いた例があったとしても、それは当たり前のことで、B薬のほうが実はA薬よりも効くということではない(図1)。

図1

図1のように「A薬は効かないがB薬は効く人」よりも実は「B薬は効かないがA薬は効く人」のほうが多いのだが、その集団が可視化されることはない。A薬を先に使うからだ。

B薬はセカンドラインであり、つまり補欠であり、その評価はセカンドラインでどんなに活躍しても覆ることはない。「代打の切り札」はスタメンになれない何かの理由を持っている。

ここで前回を振り返ってみる。オプジーボについてこんなことが言われていた。

医療現場で働く医師たちがオプジーボを支持する理由は抗がん剤が効かないがん細胞にも劇的な効果を持つからだ。(日本経済新聞社『免疫革命 がんが消える日』電子版)

オプジーボの評判はひっくり返っている。ほかの薬が効かない場合に効くというのは、ファーストラインでは使えないという意味でしかない。

B薬をファーストラインに昇格させたければ、ファーストラインで使う試験をしなければならない。そんなわけで、オプジーボもファーストラインの試験に投入された。それが失速のきっかけになった。