「あなたにだけ効く薬」は「誰にでも効く薬」よりも優れているのか?

「ゲノム医療」はひっくり返っている
大脇 幸志郎 プロフィール

オプジーボは「夢の治療薬」?

プレシジョン・メディシンが流行語になろうとしていたころ、もうひとつの流行語とともに異様な注目を浴びた薬がある。オプジーボ®(一般名ニボルマブ)だ。2018年のノーベル賞がオプジーボの開発のもとになった本庶佑の業績に対して与えられたことで覚えている人もいるだろう。

オプジーボもまた、PD-1という分子に関係する分子標的薬だ。分子標的薬はイレッサという苦い経験を通過していたはずなのだが、オプジーボに対してはイレッサよりもはるかに露骨で軽薄な噂話が広められた。

 

オプジーボはまず皮膚の癌(悪性黒色腫;メラノーマ)に対する薬として承認された。この癌は比較的まれなものだった。しかし、ほかの種類の癌にも幅広く使えるはずだという期待をこめて多くの臨床試験が行われ、2015年には肺癌の一種(切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌)に対しても承認されたことで、一躍多くの人に関わることになった。

「オプジーボはリンパがん、頭頸部がんなどあらゆるがん種に効くことがわかってきました。私は皮膚科としてメラノーマが治る時代がやってきたなと実感しましたが、今後、おそらく人類ががんを克服する日もやってくると感じています。

かつて抗生物質がなかった時代は結核を治療するのに、感染症であるにもかかわらず外科手術をするようなこともあった。現在、結核で死ぬ人がほとんどいなくなったように、がんも克服できるはずです」

医学は着実に進歩しつつあり、夢の治療薬が一般の患者でも使用できる時代がきた。がんを恐れる必要がなくなる日は、もうそこまで来ている。(『週刊現代』2016年4月10日号「がん治療「革命」の旗手!  夢の薬「オプジーボ」はこんなに効く」)

なお、現在の日本は世界でも結核が多い国として知られ、人口動態統計によれば2015年に1956人が結核で死んでいる。また感染症である虫垂炎の治療として手術はごく当たり前に行われている。

週刊誌だけが軽薄だったのでもなく、日本経済新聞の連載をもとにした単行本にもこう書いてある。

医療現場で働く医師たちがオプジーボを支持する理由は抗がん剤が効かないがん細胞にも劇的な効果を持つからだ。すでに国内外の多くの治験では有効性の差がつきすぎたため、他の抗がん剤との比較試験が中止となり、オプジーボに切り替えるよう勧告も出ている。(日本経済新聞社『免疫革命 がんが消える日』電子版)

「抗がん剤が効かないがん細胞にも」という表現がひっくり返っていることは次回説明しよう。加えてやや専門的な点を指摘するなら、「有効性の差がつきすぎたため」として予定より早く試験を打ち切ると、傾向として効果を過大評価しがちであることが知られている。マラソンにコールドゲームがあったらどうなるかを考えてみてほしい。

一般向け媒体よりも先に、世界でトップクラスの権威を誇る科学誌がこんなことを書いていたことも指摘しておこう。

腫瘍学がいまある流動的な状態においても、ひとつのことは確かだ。ひとつの本が閉じられ、新しい本が開かれた。(『サイエンス』2013年12月20日号「癌免疫療法」)

上の文は、『サイエンス』誌が2013年の「今年のブレイクスルー」に癌免疫療法を選んだことを知らせる記事に出てくる。同じ記事の中にはオプジーボの試験で何人かの癌が小さくなったことを書いてある。『サイエンス』は基礎科学のジャーナルだ。薬が効くかどうかを載せる媒体ではない。そして肝心なことだが、2013年の時点でオプジーボは世界のどの国でも承認されていなかった。