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自己と非自己を分ける謎の細胞「制御性T細胞」とはなにか?

がん・アレルギー治療に革命が起きる!

2020年のノーベル賞では、残念ながら日本人はその栄に浴することはできなかった。日本人科学者で受賞の候補として名前が挙がる中で、筆頭とされるのが、免疫学者で大阪大学特任教授の坂口志文氏である。

過剰な免疫反応を抑える制御性T細胞(Tレグ)の発見は、2015年のガードナー国際賞を始め内外で高く評価されており、2019年には文化勲章も受章した。新型コロナウイルスに世界が揺れている2020年には、免疫の世界で著名なコッホとエールリヒの名を冠した賞をダブル受賞している。Tレグの意義と今後の医療への応用の可能性などについて、お話をうかがった。

聞き手=塚崎朝子 ジャーナリスト

免疫学にもう1つの道を拓いた研究

――ロベルト・コッホ賞受賞、おめでとうございます。

坂口 ありがとうございます。免疫学における栄えある賞をいただき、光栄です。コッホと、その弟子であるベーリングと北里柴三郎は、いかにして免疫反応が起きるかを探った研究の先駆者です。一方、私は、免疫反応を抑える制御性T細胞(Tレグ)を研究しており、免疫学に別の裏道が作れたかなと思っています。

【写真】門下生がR・コッホに贈ったとされる顕微鏡< 北里柴三郎ら門下生がコッホに贈ったとされる顕微鏡。大阪万博(1970年)の西ドイツ館に展示されたものを大阪府が買い受け、「コッホ以上の大きな業績を挙げて欲しい」と大阪大学に寄贈された 拡大画像表示はこちら

――3月には、パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受賞されました。

坂口 こちらもドイツの医学賞ですが、免疫学だけでなく、がん研究、血液学、微生物学、化学療法など、より広い分野を対象とした賞であり、格別に喜ばしく思います。
エールリヒは、「免疫系は自分を攻撃するのを回避するシステムを備えている」と最初に提唱した人物です。私の研究にも連なるものがあり、その意味でも感慨深いものがあります。

【写真】パウル・エールリヒ 最初に「免疫系は自分を攻撃するのを回避するシステムを備えている」と提唱したパウル・エールリヒ photo by gettyimages

3月にフランクフルトまで行きましたが、新型コロナウイルスのパンデミック宣言が出て授賞式直前に国境が封鎖され、30人以上の集まりも開けなくなって、ホテルで小規模に祝ってもらいました。コロナに東洋人が連想されるのか、タクシーでチップを渡してもすんなり受け取ってもらえなかったり、歩いていると、遠くから私を東洋人だと認めた人がすれ違う際に息を止めていたりといった経験もしました。

 

"今ある細胞"を使った優しい治療

――Tレグが拓く新しい医療とは、どのようなものでしょうか。

坂口 自己免疫疾患もアレルギー疾患も、臓器移植時の免疫反応も、起きる人・起きない人は固定的に決まっているのではなく、「自己」と「非自己」の境界は動かすことができるため、新しい治療法を作ることができます。こうした境界の揺らぎは、囲碁の陣地取りにも似ています。

例えば、がんは、DNAの傷によって引き起きされる病気で、細胞の異常な増殖が止まらなくなります。自己免疫疾患やアレルギー疾患の背景には遺伝的な因子があるにせよ、DNAの傷とは無関係に生じてきます。細胞レベルのバランスがちょっと崩れることにより、起きたり起こらなかったりします。であれば、治療する際も、そのバランスを変えてやれば元に戻すことができる。これが最も重要なことです。

免疫が関係している病気やがんへの免疫反応といった生理的な免疫応答は、DNAに触らずにコントロールできます。疾患に関わるDNAやタンパク質が解明され、それをターゲットにして様々な薬剤が開発されています。一方で、細胞は何十億年も生き永らえて進化しており、結果として異常は排除された状態で我々の体内に存在しているものです。

【写真】生理的な免疫応答による治療は、DNAに触らずにコントロールできる 生理的な免疫応答による治療は、DNAに触らずにコントロールできる photo by gettyimages

今後さらなる分子的なメカニズムが明らかにされるかもしれませんが、淘汰をくぐり抜けて、今もある細胞には信頼が置けます。

例えばがんの治療であれば、誰でもが持っているTレグを少しだけ減らして、がんへの免疫応答を高める。もしくはアレルギーの治療であれば、Tレグを少しだけ増やして免疫反応を弱める。こうしたことができれば、生理現象にかなった優しい治療にできると信じています。あるいは、Tレグを体外でちょっとだけなだめて体内に戻してやると、色々なことを感じとって自律的に働くようになるはずです。