どこか 「コロナ警戒」の今に似ている

1月のシャルリー・エブド襲撃事件に始まり、3日間に渡って続いた一連の襲撃テロにより、パリの人々はまたいつ起きるか分からないテロの恐怖に脅かされるように生活することになった。それは同年11月に起きたフランス史上最悪の同時多発テロによってさらに浮き彫りになった。それ以降、パリ市内外はより糸を張りつめたような空気に包まれ、「いつどこで誰がテロの犠牲になってもおかしくない」という危機意識が人々の間に芽生えた。

2015年11月13日に起きた同時多発テロは、レストランの窓際に座っていた人が犠牲になるなど、卑劣なものだった。写真は実際被害に遭ったレストラン「La Belle Equipe」 Photo by Getty Images

当時はカフェテラスに座る人の姿はまばらになり、私もレストランやカフェテラスで食事をするのを避けるようになった。メトロに乗る時はテロリストが「神は偉大なり」といつ叫ぶかと恐怖心に駆られ、イヤホンで音楽を聞くこともなくなり、逃げやすい位置に乗車する癖がついた。駅構内や細い道、空港などですれ違う人にアーム用手袋(爆弾装置を起動するのに装着するとされていた)をする人がいないか警戒するようにもなった。また、全身を黒い布で覆うイスラム教徒の女性(フランスでは禁止されているが地域によって着ている人がいる)を見ると、爆弾を布の下に装着している事件などが他国で盛んに報じられていたため、すれ違うのすら恐ろしかった。

これらのことは恐怖心からくるものであるが、人種差別という問題と背中合わせだったのも事実である。それは、私が新型コロナ流行初期に1〜2月のフランスで経験した、「アジア人をみたら新型コロナに感染していると思う」というものからくる差別行為に似ていたのだろう。

今思うと、テロ事件後の「テロリストに怯えながら街に出る」という感覚が、見えないウィルスに常に気をつけなければならない新型コロナ感染流行の現在にとても良く似ているのだ。シャルリー・エブド旧社屋前で襲撃事件が起きた時、当時の緊張感がデジャヴュのように蘇り、「まるで今と一緒ではないか」とその類似性にハッとさせられた。それと同時に、コロナだけでなくテロにも警戒しなければならない今のフランスの空気は、ますます人々に生きづらさを感じさせていることにも気付く。この国は自由を掲げ規制を疎ましく思う人々が暮らす国なのに、である。これらの鬱憤は、毎週のように行なわれていたデモや、不定期のストに現れているのかもしれない。

2週間の秋バカンスと同時に外出禁止令が発動されるパリほか仏主要都市では、ホームパーティーの機会が減るほか、親族の集まりなどにも「6人ルール」が敷かれる。レストラン、カフェ、イベント事業者へのマイナスの影響は確実で、政府支援があるとはいえピリピリとした雰囲気は強まる一方だろう。コロナ禍、テロ、人種問題、ストライキ、警察・市民間の暴力事件……常に軋轢が絶えないこの国の姿を目の当たりにし、これ以上、フランスの社会が行き詰まらないことを願うばかりだ。

コロナの感染拡大をおさめるための夜間の外出禁止令。ピリピリした空気もまた強まってしまうのか…Photo by Getty Images

下野真緒