5年後に事件が起きた理由

何故今になってまたこのような事件が起きたのかというと、今年9月からシャルリー・エブド襲撃事件の裁判が開始されたことが関係している。公判初日には、同紙が 『Tous ça pour ça (すべてはこれだけのためだった)』というタイトルと共に、一部のイスラム教信者の怒りをかっていた問題の風刺画を掲載していた(タイトルの意味は文脈上、「襲撃テロによる虐殺は風刺画のためだけに起きた」と解釈できる)。もちろん、シャルリー・エブド側にとっては12人もの編集者や風刺画家ら仲間の命が奪われたことによる批判はあってしかるべきである。しかし実際、今回の犯人もこの風刺画の再掲載を襲撃の動機として挙げており、最近ではシャルリー・エブドに対するイスラム過激派による脅迫が再び続いていた。

風刺画を「表現の自由」と割り切り、むしろ伝統として守るフランス人と、風刺画を真に受け憤慨するイスラム過激派。信仰の自由は受容しても宗教批判は違法としないフランス社会を前に、風刺画を巡る良し悪しの議論はいつになっても終わりがない。一方カステックス仏首相は今回の事件を「テロ」とし、2015年当時もフランスで叫ばれた「表現の自由」を守る姿勢を示している。つまり、フランスでは風刺画は擁護されるべき対象に今も変わりないのだ。

世界各国さまざまな人が風刺画の対象となっており、フランスではその文化を大切にしている Photo by Getty Images

悲惨な襲撃の様相が公判で明らかに

2015年1月7日に起きたシャルリー・エブド襲撃事件では、イスラム過激派のテロリスト・クワシ兄弟がシャルリー・エブド本社に押し入り、編集会議に出席していた編集者、風刺画家、コラムニスト、警備にあたっていた警官ら計12名を次々と射殺していった。公判で証言台に立った漫画家のコリーヌさんは、悲惨な襲撃の様子を明らかにしている。

その日の編集会議後、子どもを保育園に迎えにいこうと早めにビルの下へ降りた。そこへ目出し帽をかぶった2人組がやってきて、銃を突きつけられ、人質に捕られるかたちで編集室のドアのコードを押すよう強要された。扉が開くと、急いで机の下に隠れたが、「その後は、絶え間ない銃声と椅子の音しか聞こえなかった。(中略)それから、暴力的な<沈黙>だけが続いた」と語った(francetvinfo.frより)。立ち上がると目の前には虐殺の光景がひろがっていたという。

「校正担当ウラドの体が見え、編集長のシャルブ、シャルブの警護担当警察官、そして風刺画家のカビュの足が見えた。すぐにカビュの足だと分かったのは、会議中に彼が食べていたパン屑がコートから出ていたから」(franceinter.frより)

コリーヌさんは自分が扉を開けたことで起こってしまった悲劇に、現在も罪悪感を抱き続けているという。