堀江貴文・餃子屋事件の本質はSNS時代の新興宗教型ビジネスの弊害

「マスク着用のお願い」にクレームとは
山本 一郎 プロフィール

これは社会からの抑圧ではない

さて、そのような気づかいをしたり、他人に求めることは果たして「同調圧力」なのだと言えるのでしょうか。

この社会で感染症対策をするために一人ひとりができることは、せいぜい手をこまめに洗うことと、マスクをきちんとすること、他の人との距離を取り、大声で喋らないことぐらいです。これらの「感染症になりにくい生活を送るための知恵」を自身や隣人、社会全体に対して行き届かせることは、本当に個人の自由や権利を制限するものなのでしょうか。

私たちが社会生活を送るうえで「これを守っているから安心なのだ」と考えて行動することは社会からの抑圧なのでしょうか。

これらの「マスクは要らない」「コロナは風邪だ」という言説は、公衆衛生がどうだとか、医療の臨床の現場ななんだという話とは別に、個人主義を掲げて社会の抑圧、束縛からの開放というテーマを人々に投げかけて支持を得ようとしています。

単純な話、常識を疑え、権威を否定しろ、と言っている人が、コロナの脅威を軽く判断し感染症対策を進めて、不幸にしてウイルスをもらってしまう人たちを減らす社会的活動を阻害している面は強くあります。

蓋を開けてみると、まともな社会人や知識人は相応にコロナウイルス感染拡大のリスクと向き合う必要から「感染症対策をしながら経済をきちんと回していく必要性」を説いています。

 

感染症を根絶することは困難だし、リスクは決してゼロにはならないのだから、不必要に感染拡大しないような配慮をしつつ、その中で最大限の経済活動をしていくにはどうするかを考えるのが、本来の社会の知恵であり、保守主義的な思考でしょう。