「国は金を刷れ、問題には札束で対抗せよ」〜MMTが私にくれた「勇気と想像力」

夢を見るための経済
樋口 恭介 プロフィール

だから、私たちは財政赤字を恐れることはないのだし、実際恐れることなく生きられている。そうした事実を認めるならば、そうした事実を利用しない手はないだろう。資本が生み出す暴力には、資本を用いて抵抗することで対抗することができる。要するに私たちは、勇気をもって、金をガンガン刷りまくり、資本主義が生む問題や不幸に向かって、大量の札束を投げつけることで問題や不幸を解消することができるのだ。

 

日本の経験が教えてくれること

むろん、MMTは日本においては事実に基づく理論であるものの――一見するとこれまでの通説/経済理論とは反するがゆえに、「そんなことを推進すればインフレになる」だとか、あるいは「ハイパーインフレになる」だとか、「働く意欲がなくなり社会が維持できなくなる」といったような、紋切り型の批判は多く存在する。

そして、いずれも批判として成立していない。

そもそもの話として、日本は財政赤字を続けていても、インフレにはなっておらず、それどころか長らくデフレが続いている。現代の日本において、デフレは多くの人を殺してきたし、今なお多くの人を殺しているが、インフレは一人の人も殺していない。日本はデフレから脱却すべきであるとは反論の余地のない主張であると思われるが、デフレが終わるということはインフレになるということであり、デフレからの脱却を目指すということはそのままインフレを目指すことと一致する。日本はインフレを恐れるのではなく、インフレを受け入れなければならない状況にあるのである。これは一般論だ。

ハイパーインフレは恐ろしいが、それと同等かそれ以上にデフレは恐ろしい。私たちにとってはデフレが日常だが、そもそもそのこと自体が異常事態なのである。私たちはデフレに慣れすぎており、政府によってそれが当たり前だと思い込まされているが、ステファニー・ケルトンに言わせればそれは、「アメリカが一九三〇年代の大恐慌のときに陥った」「珍しい状況」なのである。私たち日本人は、大恐慌なみの異常事態の中を、過去三〇年にもわたって生かされ続け、そしてそれを――不思議なことにインフレを恐れながら――受け入れ続けているのだ。