「国は金を刷れ、問題には札束で対抗せよ」〜MMTが私にくれた「勇気と想像力」

夢を見るための経済
樋口 恭介 プロフィール

そう、ここには暴力がある。私たちは暴力に囲まれて生きており、それらの暴力は一般に、経済格差と呼ばれている。経済格差は資本主義下において必然的に発生し、必然的に拡大してゆく現象である。経済格差はさまざまな社会問題を生む。

例を挙げてみよう。

たとえば人が自ら死ぬのは金がないからだ。たとえば人が病気で死ぬのは金がないからだ。たとえば医者が治せる病気が治せないのは金がないからだ。たとえば街が寂れてゆくのは、街にホームレスが溢れるのは、街から子どもが消えていくのは、全てひとえに金がないからだ。

人の生死を分けるものは、多くの場合、端的に言って金なのだ。

しかし多くの人には金がない。それではなぜ金がないか。簡単なことだ。給料が上がらないのに税金が上がっているからだ。それではなぜ給料が上がらないか、雇用に回すだけの金が政府にないからだ。それではなぜ税金が上がっているのか、政府に金がないからだ。それではなぜ政府に金がないのか、それは、政府が金を刷らないからだ。

こうしてMMTは主張を開始する。

 

問題の本質は財政ではない

『財政赤字の神話』と題された本書は、文字通り、「財政赤字の神話」と「財政赤字の現実」を紹介する。

「政府は家計と同じように収支を管理しなければならない」のではなく、「家計と異なり、政府は、自らが通貨の発行体である」こと。「財政赤字は過剰な支出の証拠」なのではなく、「過剰な支出の証拠はインフレである」こと。「国民はみな何らかのかたちで国家の債務を負担しなければならない」のではなく、「国家の債務は国民に負担を課すものではない」ということ。

「政府の赤字は民間投資のクラウディングアウトにつながり、国民を貧しくする」のではなく、「財政赤字は国民の富と貯蓄を増やす」ということ。「貿易赤字は国家の敗北を意味する」のではなく、「貿易赤字は「モノ」の黒字を意味する」こと。「社会保障や医療保険のような「給付制度」は財政的に持続不可能」であるはずがなく、「政府に給付を続ける意思さえあれば、給付制度を支える余裕は常にある」こと。

問題の本質は財政などでは絶対になく、財やサービスなど、経済の中を流れる「実物資源」そのものである、とステファニー・ケルトンは喝破する。