天皇皇后が、緊急事態宣言から半年後も「厳しい自粛」を続ける理由

コロナに翻弄される「令和の天皇像」
原 武史 プロフィール

「平成流」から引き継ごうとしたもの

あらためて、天皇徳仁が上皇明仁から受け継ごうとしたものは何だったのか、そして、どのような影響を受けているのか。それを考えるには、天皇明仁が退位時に「受け継がれることを望む」と述べた「平成流」の天皇のあり方を振り返る必要があります。

「平成流の天皇像」とは、簡単に言うならば、「宮中祭祀」つまり国民への祈りと、「行幸」ないし「行幸啓」つまり皇居から出て皇后とともに全国を巡り、国民の前に姿を見せ時に直に交流すること、この2つを象徴天皇の務めとして重視するとともに、両者を一体のものと見なすあり方です。

宮中祭祀も行幸啓も、明治以来、代々行われてはいます。ただし、宮中祭祀が明治以降の「作られた伝統」であることを知る明治天皇はそれほど熱心ではなかったし、大正天皇も同様で、体調の問題もあり、それほど注力することはありませんでした。

 

一方、昭和天皇は宮中祭祀に傾注したけれども、そこには母である貞明皇后の影響がありました。もともと日蓮宗を熱烈に信仰し、神がかり的な信仰心を持っていた貞明皇后こそが、作られた伝統、「フィクション」だった宮中祭祀に意味と正統性を与えたキーパーソンであったことは、拙著『皇后考』で述べたとおりです。

平成の天皇は、その宮中祭祀を積極的に行うことで、「祈る天皇」像を演出しました。令和の天皇もまた、これまでの出席状況を見る限り、平成の天皇と同様、宮中祭祀に熱心な天皇であると言えます。

天皇は現在、毎月の宮中祭祀を欠かすことはありません。コロナ禍にあっても、その傾注ぶりは前述の宮内庁発表の日程を見ても明らかです。ただそれは、天皇自身の主体的な姿勢によるのか、それとも平成の天皇と皇后がまだ上皇と上皇后として健在であり、「平成流」を踏襲せざるを得ないからなのかは、まだわかりません。