学術会議の問題、安易な「民営化」が解決策にならないと言える理由

専門知と民主制はどうあるべきか?
伊藤 憲二 プロフィール

第一に、学術会議が日本の研究者を代表すること。この「代表」という言葉は多義的で、一つには対外的に日本の学界を代表するという、前身の学術研究会議以来の機能もあるが、ここでは研究者コミュニティの利害を代表する機能に注目する。第二に、学術の発展向上をはかること。

第三の、「行政、産業、国民生活に学術を反映させる」というのは、具体的にはそれらのセクターの必要に応じた学術知を提供することで、広い意味での科学的助言と言ってよいであろう。ここでは一つ目と三つ目、研究者を代表する機能と、科学的助言の機能に絞って考える。

なお、学術会議は「科学」、「科学者」という言葉を自然科学に限定せず、人文・社会科学、工学、医学を含む広い意味で使っており、ここではそれぞれ「学術」「研究者」という言葉を当てる。

一国の学界を代表して科学的助言をする機能を持つ団体の初期の典型は、1699年に制度化されたパリ王立科学アカデミーであろう。高名な学者の集団が君主の庇護を受けてさらに業績を挙げ、王国に有用な専門知と栄光を与えるというモデルは18世紀に非常に成功し、各国の同種の団体のモデルになった。

1671年、パリ王立科学アカデミーを訪れたルイ14世[ウィキメディア・コモンズ]
 

他方、国家規模で研究者コミュニティを代表する団体の最初期のものは、1822年に作られたドイツ自然探究者医師協会(GDNÄ)であろう。それをモデルとして英国科学振興協会(BAAS)や米国科学振興協会(AAAS)が現れた。

ところがこの二つの系統は必ずしも相性が良くない。通常「アカデミー」と称されるのは一国の最高の学者を集め、国に対して有用な専門知を提供する前者のような団体である。

一方GDNÄは、19世紀に領邦国家に分かれていたドイツの統一を目指したロマン主義、つまり反仏・反啓蒙主義の自然哲学者、ローレンツ・オーケンが創立した団体である。会員は一般研究者で、1942年の年会参加者は980名に達した。