学術会議の問題、安易な「民営化」が解決策にならないと言える理由

専門知と民主制はどうあるべきか?
伊藤 憲二 プロフィール

学術会議「任命拒否」の問題点

現行の日本学術会議法では、「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」となっている。第十七条の規定とは「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦する」というものである。

1951年の答弁から考えれば、推薦は政府を強く拘束するはずである。にもかかわらず、菅首相は吉田内閣ほどの説明も与えずに任命しなかったわけで、あの吉田茂を超える権限を振るったことになる。

6名の任命を拒否した菅義偉首相[Photo by gettyimages]
 

内閣総理大臣は間接的ながら国民の代表者であるが、それでも過剰な権力の集中や恣意的な権限の行使がないよう国民の監視を受けるべきであり、重要な政策判断に関しては説明責任を果たさねばならない。それをしないことを看過するのは、今後より広範な恣意的人事への道を開くもので、民主制そのものを危うくする。今回の任命拒否の問題点はこれに尽きる。

しかし今回、学術会議に対してかつてないほど一般の関心が向けられ、様々な誤解やデマが飛び交っている。この問題は、民主制と専門知の調和や政府への科学的助言に関する問題とも無関係ではない。これらの点から学術会議について再考してみたい。

「キメラ」としての学術会議

学術会議自体が出した報告書にあるように、「アカデミー」の範疇のもとに各国にある団体は、それぞれ独自の歴史的経緯を経て非常に多様であり、機能もバラバラで、一つのカテゴリーをなすとは言い難いほどである(注1)。そして学術会議自体も、キメラのように様々なアカデミーの要素をあわせ持っている。

学術会議の法律上の目的は創設時から変わっていない。日本学術会議法第二条に「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」が目的とある。ここから日本学術会議が三つの異なる機能を持つことがわかる。