コロナ時代に大ヒットした『地球の歩き方 東京』、その「新しさの正体」

東側に焦点、「暗黙のルール」も紹介
岡本 亮輔 プロフィール

こうした構成は、江戸からつながる東京の歴史を強く意識したものと言える。徳川家康による江戸幕府の開闢によって、数百年に渡って江戸には莫大な資本が投下され、様々な文化が開花した。

『地球の歩き方 東京』では、「江戸時代以前の三大建造物」として、浅草寺、寛永寺、増上寺が徳川将軍家と関わりの深い寺院として紹介され、浅草花やしきや向島百花園も、単なる娯楽施設としてではなく、江戸時代からの歴史を持った場所として説明されている。

200年以上に及ぶ江戸時代を終わらせたのが明治維新である。それに合わせて、徳川聖地であった上野は、近代日本を象徴する場へと改造された。

かつて寛永寺の本坊があった場所には「日本で最も長い歴史を持つ博物館」である東京国立博物館が建てられ、その周辺には「明治15年開園の日本で最初の動物園」である上野動物園、「日本で唯一の国立の総合科学博物館」である国立科学博物館などが作られたのである。

〔PHOTO〕gettyimages
 

秋葉原界隈については、AKB48劇場、旧練成中学校をアートセンターとしたアーツ千代田3331、そして御徒町駅と秋葉原駅の間のJR山手線の高架下をショッピングエリアに再開発した2k540 AKI-OKA ARTISANの3つの施設が紹介されているが、エリア解説の冒頭では、秋葉原が明治2年の大火をきっかけに、鎮火のために秋葉大権現が祀られたことから説き起こされる。

その後、大正時代にNHKのラジオ放送が始まり、戦後、秋葉原は無線部品の専門街へと変貌するが、そこでもしっかりとヤミ市の歴史が言及されている。

第二次大戦にともなう米軍の大空襲は、東京の社会経済も風景も一変させた。阿佐田哲也『麻雀放浪記』(1969年)によれば、戦後まもない頃、高台にある上野公園に行けば、浅草から東京駅あたりまでが一望できたという。

その間にあった建物のほとんどが焼失したのだ。そうした悲惨な状況の中、人々の生活を支えたのがヤミ市であり、秋葉原のヤミ市は中でも大規模なものであった。

江戸からつながる長い歴史を持った歴史的都市として東京を再提示したのが、『地球の歩き方 東京』の大きな魅力の一つである。