日本で最初に本物の鉄道が走ったのは、長崎大浦海岸の外国人居留地である。まだ江戸時代の慶応元年か2年のことであった。その前に飽ノ浦の溶鉄場で機関車を走らせた記録があるがこれは工場の中であるのと情報がほとんどないので除外する。
大浦海岸での走行は、ショーケースの商品のようなもので、グラバー商会が日本に売り込もうとデモ用に走らせたもの。博覧会での展示走行と同じなので本格的な公共鉄道という訳にはいかない。
もともと上海の鉄道に納品する予定であったが、アメリカとイギリスの商人が計画した鉄道が清国政府の許可を受けられなかったために、日本に持ち込んだというものだった。
その後上海の近郊、呉淞鉄道に納品されたというが、この鉄道もイギリスの商人が清国政府の許可を得ずに建設したものであった。鉄道の効用が認識されたのか、のちに政府に買収され、中国で最初の鉄道となった。
次が、北海道の岩内の近く、茅沼炭砿である。
幕末に箱館が開港場に指定されたため、船舶用に適した石炭を探していたところ、ニセコ北西部の海岸近くにある茅沼で良質な石炭が産出することがわかり、徳川幕府の箱館奉行は、イギリス人技術者のもとで石炭の採掘を始めた。
この石炭の搬出のために軌道システムが導入された。しかし幕府が経営していたときには実現せず、新政府に引き継がれて後、明治2年に完成した。
坑口近くはケーブルカー方式で、頂上の滑車からロープで2台の貨車をつないで、下りの貨車に石炭が積まれるとその重さで坂を下り、その反動で空の貨車が坑口まで引き上げられた。
積出港までは木の角材に鉄板を張ったレールを敷き、下り坂は重力で下ろし、上り坂は牛や馬で貨車を引き上げた。いわゆる「重力式」の鉄道である。
ヨーロッパでは、軌道システムは最初炭砿や鉱山で使われ、のちに公共交通に使うようになったが、日本でもごく短期間ではあるものの、同じような発展過程を経験していた。