団塊ジュニア世代が一貫していないのは当然…中野信子さんの気づき

人は複数の側面を使い分けて生きている
中野 信子 プロフィール

脳は一貫している方がおかしい

他人がそれを汚いと言おうが、そんなことはどうでもよい。いい子になって旧式の価値観に合わせ、共倒れするくらいなら、汚くとも堂々と振る舞って生き延びてやろうではないか。

むしろ、脳は一貫していることの方がおかしいのだ。自然ではないから、わざわざ
一貫させようとして、外野が口を出したり、内省的に自分を批判したりもする
のであ
る。

 

一貫させるのは、端的に言えば、コミュニティから受けとることのできる恩恵を
最大化するためという目的からにすぎない。

私たちは、複数の側面を内包しながら、これらを使い分けて生きている。

私たちの世代はこれを自覚的にできる人が旧世代よりも増えただろうが、人間というのは世代を問わず、そういうふうにできている。仕様だといってもよいだろう。わたしだと思っているものは、わたしではない。

わたしのペルソナ(他者に対峙する時に現れる自己の外的側面)は、わたしがそう演じている役である、といったら言い過ぎだと感じられるだろうか?

あなたが、わたしだと思っているものは、わたしではない。一時的に、そういう側面を見て取ってもらっているだけのことである。

わたしは存在しない

無論、ある程度の遺伝的形質や、これまで過ごしてきた環境の種々の要因が私を形作っていることは事実ではある。

『ペルソナ』に記したのは、その形質と要因に関わる内容である。私の今ある姿に着目し、私の持っているようなリソースを手に入れたい、と望む人にとっては、メタ的にはかなり役に立つ本になるだろう。

過去に存在した事実の集積で、人間はできている。過去の私を語ることが、現在の私を語ることになるのだが、考えてみると、今の私があるのは少し前の私がいたから、そしてその少し前の私がいたのは数年前の私がいたからだ。

そこで『ペルソナ』では、一般的な自叙伝とは違い、現在から時代をさかのぼる形で書き進めてゆくことにした。時には時代が前後したり、思考のみにフォーカスすることで時代性が不明になったりもする。

何があったのか、具体的なことには触れず、読者の想像に任せている部分もある。私に直接会って話をするよりも本書を読む方が、中野信子の記憶の闇へと深く潜ってゆく感覚を味わえるかもしれない。

また私の闇をさらけだす以上、いつもよりもさらに不親切に、ペダンティックに、時に攻撃的に書いてしまうかもしれないが、ご容赦いただきたい。

わたしは存在しない。

これは悲しいことではない。透明な存在であることを嘆く必要はない。だからこそ、来るべき変化に対応することができるからだ。もう変化のときは来ている。失われた世代として、透明に生きてきたからこそ、どんな姿にもなることができる。

皆さんと、新しい変化のときを、柔軟に、楽しんで生き延びていくことができるようにと祈りつつ。

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