映画自体は魅力的だが…

ただ、本作が映画作品として駄作かと言えば、そんなことはない。1本の映画作品としては破綻なく成立している。「働く女性の育児と仕事の両立、無理ゲー問題」「マミートラック問題」それ自体の共感度は非常に高いものだし、人間味ある人格を与えられたデヒョンは、それはそれで魅力的なキャラクターだ。映画版で追加されたジヨンたち三姉弟の交流も、シビアな物語にひとときの温かみをもたらしている。

映画版で特に胸を打つのが、再就職を諦めたジヨンのもとに、ジヨンの母・ミスクが訪れるシーンだ(これも原作にはない)。ミスクも女性であるばかりに、幼少期から男兄弟ほどには教育にお金をかけてもらえず、かつて教師になる夢を諦めた過去がある。それを知っているジヨンは、「私が近くに越してきてアヨン(ジヨンの娘)の面倒を見るから働きなさい」と提案するミスクに対し、なんとミスクの母親(ジヨンの祖母)の人格を憑依させて、申し出を優しく断るのだ。

かつて夢を諦めた母を、そのまた母の立場から母性いっぱいで慈しむジヨン。あまりにも不憫な娘に嗚咽するミスク。母と娘のいたわりあいが時間を越えて二重に交錯する、映画版きっての名シーンだ。

-AD-

忖度の産物か、無理解の産物か

ただ、ノンフィクション的な手法で厳しい現実をつまびらかにしていった原作が、その構造のままでは劇映画になりにくいのだとしても、脚色の度が過ぎている。それは単に、原作と異なる話が紡がれているという意味ではない。原作のセリフやシーンをそれなりの忠実度で再現しながら、それでいて原作とは異なる文脈上に配置することで巧妙に印象操作するという、ある種の悪質性さえ確認できる。

それはTVのワイドショーが時おり批判の的にさらされる手法と同じだ。一般人への街頭インタビューを単語単位で編集し、テロップで補完しながら巧みにつなぎ合わせることで、元の主張とは似ても似つかない、あるいはおそろしく単純化されたテンプレの「市井の声」に仕立て上げる、例の手法である。