ありがとう、美味しかったわ

恵子伯母の悲しみは深かった。子どものころ虚弱体質で「30まで生きられない」と言われていたのに、ふたを開けたらきょうだいのほうが先に逝き、ひとりぼっちになってしまったのだ。特に共依存のようにくっついていた私の母が死んでから、伯母は目に見えて衰えた。園を訪れると、嬉しそうに迎えてくれるし会話もあるのだが、すぐに上の空といった表情になった。歩き回るより、車いすでの移動も増えた。

会いに行くたび、伯母との会話は単調になっていった。天候や食べ物、私たちの近況について短い会話があり、その後必ず「ああ、今日はいい日だわ。みんなが来てくれて」と合いの手のように同じフレーズを繰り返す。話しかけると、その答えに「ありがとう」をつける。そして、いつごろからか、私たちに向かって手を合わせるようになった。伯母はこうやって少しずつ、ゆっくりと死に向かっているのだと感じた。

母の死から1年6ヵ月。特養から晴子叔母のところに、恵子が亡くなったと連絡が入った。伯母はもう90歳を過ぎていたので、いつお迎えが来てもおかしくなかった。親戚の葬儀で世話になった葬儀社に安置し、葬儀を行うことになった。

晴子叔母と私で、園に向かった。お世話になった職員にお礼をせねばならない。顔の広かった伯母らしく、園内のあちこちに顔見知りの職員がおり、たくさんの人からお悔やみの言葉が返ってきた。

彼女のいたユニットに行き、ひととおり挨拶を済ませたときのことである。一人の若い女性職員がそっと近づいて話しかけてきた。
「みなさんがいらしたら、お伝えしなくてはと思っていたことがあります」
晴子叔母と私は、何か迷惑でもかけたのかと緊張したが、彼女は小さな声で説明し始めた。伯母の最期の様子を見たのが自分だったと言う。

「恵子さんは、前日から元気がなく食欲が落ちて、何も召し上がりたくないとおっしゃったんです。それで、お休みになったほうがいいとお部屋にお連れしました。食事時間が終わってしばらくしてお顔を見に行ったのですが、『ジュースか何か召し上がりますか』とお尋ねしたら、飲みたいわとおっしゃるので、ぶどうジュースをお持ちしました。あとでお部屋に行くと、『ぶどうジュース、美味しかったわー、ありがとう』とニコニコされて。

翌日、朝食の時間に起きてこられないので、様子を見に行ったら、そのときはもう亡くなっていたんです」

伯母の最期の言葉は「美味しかったわ、ありがとう」だった。私も叔母も、若い職員に思わず深々と頭を下げた。

ブドウジュースの美味しさを感じて、職員の方の優しさを感じて伯母が逝った。それは大きな慰めになった Photo by iStock