大晦日の葬儀と悲しいお骨

母が天国へ旅立ったのは、その年の12月28日だった。危険な状態になったと連絡があり、また何とかなるのではと油断していたら、私が病院に向かっている途中で命が尽きたと知らされた。悲しいには悲しかったが、泣きくれる余裕はなかった。秋に連絡してあった葬儀社に電話をすると、申し訳なさそうな声で「いやあ、ここまで押しつまるとさすがに空きがないです。火葬場もいっぱいで……」と断られてしまったのだ。それなら病院や特養から紹介してもらえるかと思ったのだが、葬儀社の紹介はしていないという。自力で探すしかない。

ネットでひっかかる葬儀社に片っ端から連絡し、7、8軒めでようやく引き受けてくれる葬儀社が見つかった。
「暮れはどこもいっぱいになります。寒くなるにつれ、やはりお年寄りが亡くなることが多いんですね。特養のある自治体が運営する火葬場を当たりましたが、こちらも空きがありません。大晦日、お隣の市の火葬場に空いている時間がありそうです。予約してしまいましょう。ただし、住民票のある地域の火葬場ではないので、多少お高くなってしまいます」

担当者が火葬場に電話を入れると、本当に、一つの窯の一コマしか空いていなかったので、予約できた時には胸をなでおろした。
伯母の体力や心情を考えて、火葬場に連れていくのはやめた。病院の地下に伯母を呼び、母と最期の対面をさせた。伯母は泣きはしなかったが、母の亡骸を目にしたとき深く長い溜息をついた。

「あああ、これでひとりぼっちになっちゃった」

棺のふちに触れ、顔を覗き込みながら話しかける。伯母を特養のスタッフに預けて出発するとき、背後でなかなか動こうとしない伯母が小さく見えた。

手を合わせる伯母の恵子 写真提供/上松容子

車に同乗して着いた先は、プレハブの小さな葬儀社の事務所だった。事務室の横が遺体を安置する部屋になっている。ここに2日間安置するのだが、冷蔵装置もない普通の部屋である。どうするのかと思ったら、冷房を低温に設定し最強にして閉め切るのだった。質素な設備だけれど、卒なく誠実な対応だった。

私たち家族と晴子叔母、いとこたちが参列して簡単な葬儀を執り行った。母は感傷に浸る間もなくお骨になってしまった。骨粗しょう症のせいで原形をとどめていない骨の中に、人工骨頭がゴロンと転がっていた。