父の急逝後に突然認知症を発症した母の登志子、そしてしっかり者と思っていたのに、実は認知症になりつつあり、母の実家をゴミ屋敷にしていた伯母の恵子。伯母は独身で、編集者の上松容子さんは従妹と協力して2人のケアをすることになった。

当初同居を反対していた義母も最後は折れて母とも同居になり、上松さん、義母と母、そして夫と娘との生活が始まる。転んだ後に入院していた伯母の退院後の居場所も探しながら、仕事と育児に加え、自宅での母の「見守り的介護」が続いた。使用済みトイレットペーパーを流さずにトイレの床に積み上げてしまったり、他人の歯ブラシを使ってしまったり、同居して見守る介護の大変さを思い知ることとなった。そうやって頑張っている中、母が娘である自分を忘れてしまったことを知って衝撃を受ける。
それでも自宅介護を続けてきたが、もはや限界に近づいており、施設にお願いする決意をした。しかし公的機関であるの特別養護老人ホームはキャンセル待ちの列ですぐには入れない。有料老人ホームも様々な場所があり、自宅介護のできない自分を責めるのだった。

幸い、その後有料老人ホームから母と伯母とが同じ特養へと入所することができた。しかし母は誤嚥性肺炎を予防するために胃ろうを提案され、また骨折もして寝たきりの道にむかっていた……。名前だけ変えたドキュメント連載の最終回。

上松容子さん「介護とゴミ屋敷」今までの連載はこちら

生と死の境を行ったり来たり

母は2回大腿骨骨折し、片足の大腿骨骨頭は人工骨頭となった。そして、誤嚥性肺炎がきっかけとなって胃ろうの処置を行った。2015年秋に2回目の肺炎を起こした母は、また特養と同じ系列の病院に入院した。

園から連絡があるたびに病院へと足を運び、ナースステーションで今後の対応を相談する。バイタルがどんどん下がっていると説明され、いつとは言えないが、心の準備をと宣告された。次いで、人工呼吸器などの延命措置はどうなさいますか、と問われた。自分のことだったら「延命措置は不要です」と即座に返答できるはずなのだが、母のこととなると躊躇してしまう。「それはいつまでにお返事すればいいのですか?」と尋ねると、「できるだけ早くお願いします」とのことだった。その場で結論を出すことができず、翌日までに自宅から連絡すると約束した。

病室を訪れると、母の顔はこれ以上ないほど浮腫み、元の表情がわからなくなっていた。これはもうだめかと感じるほどに。

自分のことなら判断できても、親のことを判断することはとても難しい Photo by iStock

心の準備がいる、ということはつまり「そろそろ死ぬかもよ」ということである。「そろそろ葬式の準備だよ」ということでもある。父が急死したとき、葬儀と火葬の段取りがたいへんだったので、気は進まなかったが葬儀社を探すことにした。
インターネットで手ごろな価格で葬式ができる葬儀社を探し、母の状況を伝えた。
「私どもでしたら、いつご連絡をいただいても稼働できますので、大丈夫ですよ」と言う。安心した。ここ数日で亡くなってしまっても、それなら慌てずに済む。しかし母はこのあと持ち直し、特養での静かな寝たきり生活に戻った。