インスタ映え満点の駅にも寅さんが
『寅次郎と殿様』(予讃線下灘駅/海に沈む夕陽)
肩書きや地位で相手を判断しない寅さんの庶民性がくっきりと出ているのが、『寅次郎と殿様』(1977年)だ。愛媛県の大洲市が舞台で、真野響子をマドンナに迎えたシリーズ第19作だ。
映画自体の出来映えとしてもっとすぐれた作品があるかもしれないが、映画館が爆笑の渦に包まれていたことが強く心に残る。タイトルとなっている「殿様」とは、大洲藩主の末裔である藤堂久宗である。
久宗公に扮したのは、鞍馬天狗を十八番とした嵐寛壽郎だ。その執事が三木のり平ときた。この配役を得た時点で、もう成功は約束されたようなものではなかろうか。
映画の冒頭、寅さんが泰平楽な夢を見ているのはシリーズのお約束。その夢を見ているシーンは、駅の待合室やホームのベンチのケースが目立つ。
本作では、予讃本線(現・予讃線)の下灘駅ホームのベンチで夢から覚めた。高松~松山~宇和島を結ぶ予讃線は、四国きっての幹線鉄道だ。
瀬戸内海沿いを走る予讃線であるから、車窓風景のハイライトは海岸線にある。けれども、伊予長浜を経由し、海の景色を満喫できる〝海線〟は普通列車ばかりで本数も少ない。特急列車はすべて、内子経由の〝山線〟を通るのだ。という次第で、この映画に登場するのもローカル色満点の路線となる。いかにも、寅さん好みの路線だ。
落ちこぼれの寅さんが見る夢は、高所恐怖症の宇宙飛行士、ノーベル賞を得た医師、弱き者を悪代官から助ける渡世人といった、自分自身がヒーローとなっているケースがほとんど。本作では、鞍馬天狗となって見目麗しき女性(倍賞千恵子)を山嶽党の魔手から助けるとの夢。むろん、嵐寛壽郎をリスペクトしてのシーンである。
下灘駅のホームから眺める瀬戸内海の景色は雄大だが、海を埋め立て国道がつくられたため、撮影当時とは景観が変わってしまった。「青春18きっぷ」のポスターに選ばれ、鉄道ファンの間では名が通っている。凪いだ瀬戸内海に沈む夕陽は一生忘れがたいほど美しい。
ベンチも健在だ。どこから湧いて出たのかおっさんが現れ、ベンチの上に寝転んで柔軟体操はおっぱじめたのには、笑った。

本作の名場面は、上記の可笑しさなど物の数ではない。
殿様は、風に飛ばされた寅さんの500円札―今ではまったく見かけなくなった―を拾ったことから屋敷に招いて歓待する。世間知らずの殿様だ、ときおりこうしたケースがあり、殿様の好意に付け入る輩がいるらしい。のり平扮する執事、寅さんもその口と踏んで追い払いにかかる。
執事のやり口に激怒した殿様が小刀を抜き放ち、執事を無礼打ちにしようとする。刃傷松の廊下を思わせるこのシーンは、何度観ても噴き出してしまう。こういう役をやらせて、のり平の右に出る役者はいない。
廃線駅に残るレール
『寅次郎 わが道をゆく』(大分県・宮原線/廃線探訪は楽し)
第21作『寅次郎 わが道をゆく』(1978年)は、寅さんが駅のベンチで夢から覚める場面から始まる。彼は、自分が宇宙人になっている夢をみている。そして、寅さんを現実に引き戻したのは、男子高校生のラジカセから流れるピンクレディの「UFO」だった
ところは九州・久大本線の恵良(けら)駅と肥後小国駅を結んでいた宮原線の麻生釣(あそづる)駅である。横長の画面に広がる石造りの長いホームが印象的だった。「○○釣」「○○水流(づる)」は九州に特有の地名。同線は昭和59(1984)年に廃線となった。
11年前、宮原線跡を訪れた。久大本線の豊後森駅でバスをつかまえた。女学生かと思うほどさえずっていた婆さんふたりが降りたとたん、運転手が振り向いた。
「お客さん、どちらまで?」
「とりあえず、麻生釣で降りようかな」
「とりあえずって?」
「いや、実は宮原線の写真を撮ろうかと思って」
「あそこは何もなかとですよ。宝泉寺には、客が駅に上がるトンネル通路が残っとりますばい」
見慣れぬ乗客が珍しいのか、ひどく親切である。旧駅跡にバスを停めて、写真を取り終わるまで、待っていてくれた。
こんな調子じゃあバスが遅れ、待っている客に迷惑がかかるではないか。「なあに、この辺りは年寄りばかりたい。へたに定時運転した日にゃ、乗り遅れる客ばかりたい」
うふふ。旅はこうでなくっちゃあ。ひたすら到着時間を待っているばかりの高速バスでは、決して味わえぬ体験だった。
旅先で出会った人の胸襟(きょうきん)を開くには、高ぶらず、かといって妙にへりくだったりせず、あるがままの自分を見せればよろしい―。寅さんの言動から学んだ鉄則である。
宮原線終着駅の肥後小国駅は、地場産品などを売るドーム形の建物に変わっていた。「小国ゆうステーション」と名付けられた道の駅だ。

旧構内の片隅には寸断されたレールが保存されている。変色した落ち葉が降り積もった枕木の感触を確かめ、転轍機(てんてつき)を撫でさすって、腕木式信号機を見上げた。
すっかり寅さん気分になって、帰途についたことであった。