2020.10.14
# 映画

【今日は鉄道の日】寅さんの聖地を鉄道でめぐる巡礼旅10選

SLの時代から鈍行列車でゆるゆると
岡村 直樹 プロフィール

集団就職列車の時代

『男はつらいよ 奮闘篇』(只見線越後広瀬駅/集団就職列車)

第7作『男はつらいよ 奮闘篇』(1971年)の冒頭シーンは、寅さんが只見線の越後広瀬駅で東京に向かう集団就職列車の子供たちを見送る場面である。

高度成長期といわれた昭和30年代から40年代半ばにかけて、地方に住む子供たちの多くが、中学を卒業すると故郷を離れて東京へ働きに出た。中学卒業生は、都会の労働力として期待を集め、「金の卵」ともてはやされた時代だ。

 

期待と不安を胸に普通列車で上京した若者たちは、帰省時は急行列車で里帰りすることを夢見て働いた。その列車は、いつしか「出世列車」と呼ばれた。急行「津軽」「八甲田」「十和田」などである。

待合室で旅立ちの子供たちと別れを惜しむ両親を前にして、「親を恨むんじゃあねえよ。親だって何も好き好んで、貧乏をしているわけじゃあねえんだよ」と諭し、「困ったことがあったら、葛飾柴又のとらやを訪ねるように」と申し出る寅さん。

ところが、だ。ホーム上でのノーガキが長すぎたので、寅さんが乗る予定だったC11形が引く集団就職列車が彼を置き去りにして発車してしまう。

「あっ、いけねえ。俺、乗るんだった…」と列車を追いかける寅さん。ここでメインタイトルというオチが付いている。

只見線は昭和46(1971)年8月末、福島と新潟県の県境となっている只見―大白川間が開通し、会津若松―小出(こいで)間の只見線が全通。映画公開の4ヵ月後のことだ。会津地区より只見地区の人々が、開通の恩恵にあずかった。会津の人々は、東京方面に出る際、従来通り、郡山経由のほうが近かった。

只見線沿線は豪雪地帯である。沿線が雪に埋もれるからこそ、極度の不採算路線である只見線は生き残っている。

鉄道は、いかなる豪雪地帯であろうと平年並みの積雪である限り、不通にならぬだけの保安設備を施して敷設される。ところが、道路はそうはいかない。線路と平行して走っている国道が冬期は不通になってしまうのである。只見地区が外界と全く途絶してしまわぬよう、只見線を存続させたのだ。

寅さんが集団就職する若者たちを激励した越後広瀬駅は、戦時中の昭和17(1942)年、小出―大白川間の開業にあわせて建設されたが、昭和60(1985)年に無人化された。待合室に掲示されている時刻表は空欄だらけだ。

鉄道がらみの昭和30年代の歌謡曲のおおかたは、上り列車を歌い込んでいる。先頃亡くなった守屋浩の『僕は泣いちっち』は、上りの列車で東京へ行ってしまった恋人への想いを歌い、三橋美智也の『夕焼けとんび』は、上りの汽車で東京へ行ったまま故郷へは戻らない兄への想いを歌っている。

極めつけは、昭和30年代最後の年に発売された伊沢八郎の『あゝ上野駅』だ。そのものズバリ、集団就職列車で上京してきた若者の哀感を歌詞に盛っている。

現在、上野駅16、17番線の発車メロディーとして同曲が使用され、歌詞を刻んだ銘板、駅を降り立った若者たちのレリーフからなる記念碑が建立されている。

『男はつらいよ 奮闘篇』のマドンナは、榊原るみ扮する花子。青森県鰺ヶ沢町から出て来、静岡県沼津で働いていた少女だ。冒頭の集団就職の場面と連動するエピソードなのだろう。

寅さんが花子に同情して、とらやで預かるも結局、鰺ヶ沢に帰る。最寄りの駅は五能線の轟木(とどろき)駅で、さくらが、無人の木造駅舎に降り立つシーンが印象深い。日本海沿いの風光明媚な景観とともに、艫作(へなし)、風合瀬(かそせ)など難読駅名を抱える路線としても知られる。

ローカル線で出会うOLの吉永小百合

『男はつらいよ 柴又慕情』(石川県・尾小屋鉄道/ローカル線でこそ)

寅さんの泰平楽な夢のシーンから映画が始まるのはシリーズの定番だが、第9作『男はつらいよ 柴又慕情』(1972年)は、すでに廃線となった石川県の尾小屋(おごや)鉄道・金平駅の待合室で夢を見ている。当時、金平は唯一の列車交換駅だった。

尾小屋鉄道は、新小松~尾小屋間(16.8km)を結んでいた狭軌の軽便鉄道である。尾小屋鉱山の鉱物資源を運ぶために開設された路線だ。鉄道の黎明期以降、鉱山との関係は深い。鉄道が〝大日本帝国〟の先兵であった側面を語るエピソードだ。

昭和52(1977)年、廃止の憂き目にあったが、旅客営業を行う非電化の軽便鉄道としては最後まで残った路線だった。映画公開の5年後のことだ。こうして見てくると、『男はつらいよ』シリーズは、鉄道の盛衰の目撃者だったといえるだろう。

寅さんが夢から覚めると、駅員がバケットカー(キハ2形)に牛乳を積んでいる。そんなのどかさが愛しくなってくるではないか。

そして、寅さんは福井県の京福電気鉄道永平寺線・京善駅に姿を見せる。この路線も平成14(2002)年に廃線となっている。

駅前のひなびた食堂で、東京から来た3人のOLにみそ田楽をご馳走する。それをきっかけに、金沢、東尋坊といった観光地をともに旅する寅さん。3人の中で寅を夢中にさせたのは、どこか寂しげな歌子だった。歌子に扮したのは、当時、人気絶頂の吉永小百合。

3人との別れは夕闇迫る東古市駅。大正3(1914)年開業のレトロな駅だった。福井駅行きの列車に乗った歌子に、何枚かの紙幣を手渡す寅さん。遠慮する歌子に告げる。

「なに、どうせ、大した給料もらってねえんだろ。駅で弁当でも買ってくれや、なっ」

寅さんの人生劇場は、ローカル線の駅で繰り広げられこそ、様になる。

京福電気鉄道は、平成15(2003)年に、「えちぜん鉄道」として再スタート。東古市駅は、永平寺口駅と名を変えて健在である。

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