タラワ環礁に残されている砲台跡(戦没者の遺族提供)

「恐怖の島」で何が…旧日本軍人の遺骨がいまだに帰ってこない事情

「敗戦処理」は続いている

無名の島々で散った命

「幾千里はなれ小島の浜辺にて 貝を手にして亡き夫かと泣き伏す」――。

赤道直下の太平洋にタラワ環礁という無名の島々がある。太平洋戦争では日本側は4200人が玉砕(全滅)するなど、日米が激戦を繰り広げた。ここを訪れた遺族が読んだ詩だ。

この島で遺族のもとに帰った遺骨はこれまでない。なぜこんなに遠くまで出征し、こんな小さな島のために命を散らせたのか。挙げ句の果てに、遺骨も帰ってこない。

私(記者)は今年に入って、タラワで亡くなった旧日本軍人の遺族を探そうと、遺族会の30年ほど前の会報などを読みあさった。遺族の悲嘆を伝える詩に、戦争の爪跡は長く続くものだと感じた。

タラワ環礁に残されている砲台跡(戦没者の遺族提供)
 

別の遺族には、連絡を取ることができた。

「幼いころに父を見たきりだ。せめて遺骨でも帰ってきてほしい」。父を亡くした高齢の女性は、言葉少なだがはっきりと語った。

こうした女性らの声を受け、国は太平洋の戦地で遺骨を探し、希望する遺族との間で身元特定のためのDNA鑑定を実施している。だが、これまで遅々として進まなかった。

しかし、戦後75年の今年になって、急展開があった。タラワで見つかった遺骨について国がDNA鑑定を実施したところ、次々に身元が分かったのだ。タラワでの遺骨収容の経緯を取材していると、国による「敗戦処理」は現在進行形だと感じられた。

タラワでいったい何があったのか。日本ではあまり知られていないが、米国では「恐怖の島」として歴史に名がしっかりと刻まれている。