「金正恩は残忍で狡猾な政治家」

しかし、なぜ北朝鮮はこのような手の込んだ暗殺を仕組んだのだろう。どこかでこっそりと金正男を殺害できたはずだ。ビデオカメラが至るところに設置されている空港を舞台に、2人の素人を使うという芝居がかった事件を起こした理由はどこにあるのだろうか。この点についてホワイト監督に聞くと、「そこが怖いところなんですよ!」と力を込めて言う。

「ステージのショーのような暗殺事件を起こしたのは、世界中から注意を引くため。半分とはいえ血の繋がった実兄を殺せる、という自分の残忍さを世界に伝えることで、国内外の反対派を牽制する目的があったのでしょう」

空港の警察に被害を訴える金正男/『わたしは金正男を殺してない』より

2011年に権力の座についた金正恩は、自分に楯突く者や脅威になりそうな者を容赦なく粛清してきた。2013年には叔父の張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長も処刑したと報じられている。

その一方で、市場の自由化に寛容な態度を見せたり、国内の若者からの支持を得るために平壌にタピオカ店を開いたりなど、“いい人“を演じてきた。2018年には北京で中国の習近平国家主席と会談して非核化にも言及し、2018年から2019年にかけてはトランプ大統領と3回も会談した。これは彼の父親、金正日も成し遂げられなかった外交的快挙だった。数日前にはコロナに感染したトランプとメラニア夫人に「全快を心から祈る」と慰問書簡を送ったのも記憶に新しい。

ホワイト監督はこう分析する。

「金正恩は史上初めてアメリカの大統領と会談しました。彼の父親の金正日は狂気の独裁者として世界からはまともにとりあってもらえなかった存在なのに、金正恩はいつのまにか国際政治の舞台に躍り出たんです。ここが彼の恐ろしいところです。彼は残忍なだけではなく狡猾な政治家。決して油断してはいけないと思う

ならば本作を制作中、監督は北朝鮮から妨害や脅しを受けたことはなかったのだろうか。

「それは全くなかったですし、北朝鮮がこの映画の邪魔をするとは思えませんね。この事件は金正恩をアピールすることになるから、むしろ、この映画のことを歓迎しているのかもしれません」