ノーベル賞受賞の後こそ、「ゲノム編集」から絶対に目が離せない理由

「遺伝子を治療する」技術の光と闇
青野 由利 プロフィール

パートナー選びのセンス

病原性細菌を研究していたシャルパンティエさんは、もともとクリスパーに興味があったわけではない。

あるとき、研究対象としている細菌を詳しく知ろうと、細菌の中で働く小さなRNAをすべて解析してみた。そこから新たに発見したRNAが、クリスパーと切っても切れない関係にあることがわかり、「トレーサーRNA」と名付けられた。

この短いRNAは、細菌のクリスパー配列からつくられる短いRNAと複合体を形成し、はさみ役の酵素と強力しあって、過去に感染したことのあるウイルスを切断する。クリスパーによる免疫機能に欠かせない重要なピースだったのだ。

ここで彼女がRNAの構造生物学の専門家であるジェニファー・ダウドナさんに共同研究を持ちかけたセンスは、きっと天性のものだろう。

ハワイで少女時代を過ごしたダウドナさんは、ジェームズ・ワトソンの『二重らせん』を夢中になって読むような子どもだったらしい。研究者になってからはRNAの分野で頭角を現し、アメリカ西海岸の名門カリフォルニア大学バークレー校で研究室を主宰していた。自然界のクリスパーにも、すでに取り組んでいたところだった。

2017年のWIRED Business Conferenceに登壇したジェニファー・ダウドナ Photo by Brian Ach/Getty Images

プエルトリコの国際会議で出会った2人は、海をはさんで共同研究を開始した。それからわずか1年後、狙ったDNA配列を切断する「人工の遺伝子はさみ」、すなわちクリスパー・キャス9の開発に成功した。

あっという間の成果だが、はじめから狙っていたわけではなく、思いがけず扉が開いたところに科学研究の醍醐味を感じる。

「遺伝子そのものを治療する」時代の幕明け

2012年に「サイエンス」誌に論文が掲載されると、クリスパー・キャス9は世界中の研究室で使われるようになった。

特に医療の世界で注目されるのは、従来の遺伝子治療の概念を変えようとしていることだろう。

「遺伝子による治療」から「遺伝子への治療」へ、と喩える人もいる。

従来の遺伝子治療は「体細胞に外から正常な遺伝子を付け加え、遺伝子が作り出す物質で治療する」というものだった。

そこへゲノム編集が登場したことによって「遺伝子そのものを治療する」可能性が開けたからだ。

©藤本良平
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遺伝性の血液疾患であるβサラセミアや鎌状赤血球症は、すでに臨床試験が進められている。神経変性疾患であるハンチントン病、筋肉が弱っていく筋ジストロフィーなど、これまで治療が難しかった遺伝性疾患のゲノム編集治療も、動物実験がおこなわれている。

これらはいずれも、体細胞をターゲットとしたものなので、ゲノム編集の影響は患者本人にしか及ばない。安全性と効果の確認は欠かせないが、これが遺伝性疾患の治療や予防に結びつくなら何よりだと思う。

波紋をよぶ「受精卵のゲノム編集」

一方で、世界に論争を巻き起こしているのが、受精卵のゲノム編集だ。