「上級国民」大批判のウラで、池袋暴走事故の「加害者家族」に起きていたこと

家族は「逮捕してもらいたかった」と話す
阿部 恭子 プロフィール

2018年1月9日、車の暴走によって高校生一人が死亡、一人が重傷を負った事故の一審・前橋地裁で無罪判決を受けた当時85歳の男性が、家族の意向により、控訴審で有罪を主張するという異例のケースも報道されている。

この背景には、加害者家族に向けられる終わりなき社会的制裁が少なからず影響している。

加害者が高齢者で被害者が若年者であった場合は特に、世間の処罰感情は強く、加害者が厳罰を逃れるならば、代わりに家族が制裁を受けるべきというようにその矛先は家族へと向けられる。

甚大な被害に対して、誰かが相応の責任を取らなければ収まらない世間の処罰感情に応えるように、加害者家族が自ら命を絶つケースもあり、世の中は事件の幕引きを図ってきたのだ。

しかし、加害者家族が代わりに罪を引き受け犠牲になることは、一時的な世間の処罰感情を満たすだけであって事件の本質的な解決にはならない。

 

本件において、被告人の子どもたちは被告人に対して、影響力を有する関係にはなかった。被告人は一般的には高齢であるものの自立した生活を送っており、子どもたちがコントロールできるような親ではない。したがって、被告人の言動に対して子どもたちにまで責任があるというには無理がある。

「上級国民」バッシングは、近年、加速しているように見える格差社会の間で無力感に苛まれている人々の復讐であり、不満の捌け口にもなっている。

しかし、家族も含む加害者側への行き過ぎた制裁は、「被告人はすでに社会的制裁を受けている」という減刑の材料にもなり、厳罰化の主張に対して逆効果を招くことさえあるのだ。