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「令和は俺の元号」…改元で「権力奪取」した菅首相が語っていたこと

官邸でいったい何が起きていたのか

「俺の元号が来た」

菅義偉首相が誕生する一つの契機が、2019年4月1日に行われた新元号発表だった。安倍晋三前政権の官房長官として、「令和」と毛筆で書かれた色紙を掲げる姿が繰り返しメディアで流され、国民的な知名度が一気に高まったのは記憶に新しい。菅氏が街頭演説に出ると、集まった若者が「あっ、令和だ」とスマートフォンのカメラを向ける姿が各地で見られた。

その後に側近の菅原一秀前経産相、河井克行元法相が政治とカネの問題で辞任するなどの浮き沈みはあったが、「ポスト安倍」候補として急浮上し、首相の座を射止めたのだ。

新元号発表から間もない19年春、菅氏は近しい関係者との会合のたび、上機嫌でこんな話を繰り返していた。

「『令和』を初めて見た時、俺の元号が来たと思った。親父の名前が『和』三郎、姉は『玲』子で、息子の嫁の実家は名字に『梅』の字が入っている」

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令和は現存する日本最古の歌集「万葉集」から引用された。梅の花の歌の序文で、「初春の令月にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ」という部分からだ。

「ポスト安倍」を目指すことを表向きは否定し続けた菅氏。政権ナンバー2の矩を超えない裏方の仕事師として、歴代最長任期を記録した安倍晋三前首相を支えた。だが、この話を聞いた関係者は、この頃から菅氏が安倍前首相からの自立を志向していると感じたという。「令和は俺の時代だ」という秘めた意欲が、言葉からにじんでいたようだ。

その菅氏を首相に押し上げる契機となった改元劇。しかし、舞台裏について関係者の証言を積み重ねると、稚拙さと浅薄さが浮き彫りになる。

今回7年半の歳月をかけて取材をし、元号制度の真の黒衣に迫った『元号戦記』を上梓した。安倍官邸の首脳や幹部へのオフレコ取材の結果も、ふんだんに盛り込んでいる。明治以降の元号のなかで、いちばん記憶に新しい令和改元の舞台裏の一幕について、安倍前首相の退陣を機に明かしてみたい。