「津山三十人殺し」の生き残りが語った、大量殺人鬼・都井睦雄の素顔

真っ先に、祖母を惨殺した理由
石川 清 プロフィール

実の祖母を、真っ先に惨殺した理由

事件の重要な背景について一点だけ記しておきたい。睦雄の父や祖父にまつわる悲劇である。

睦雄の祖父・菊次郎は、貝尾よりかなり奥地の倉見という集落の名主で、山をいくつも有する富豪だった。そして1891(明治24)年2月、祖母のいねが貝尾から菊次郎の元に嫁いできた。

一方、睦雄の父は振一郎といい、都井家の跡継ぎ息子だった。彼が生まれたのは1887(明治20)年と言われている。これは祖母のいねが都井家に嫁ぐ前だ。つまりいねは菊次郎の後妻であり、睦雄と血縁関係はなかったのだ。

睦雄は1917(大正6)年に生まれたが、その直後から、不幸が次々と都井家を襲った。

 

1918(大正7)年、まず祖父で当主の菊次郎が肺の病で急死した。その5ヵ月後に父親の振一郎も肺結核で死亡。さらに1919(大正8)年春、睦雄の母親も結核で死んだ。

相次ぐ肺病での連続死で、睦雄一家には「ロウガイスジ(労咳筋、結核を発症しやすい家系のこと)」という烙印が押され、忌み嫌われた。

1920(大正9)年秋、幼い睦雄と姉は、血のつながらない祖母いねとともに、突如自宅があった倉見から放逐され、いねの故郷の貝尾に身を寄せた。都井家の遺産のほとんどは菊次郎の弟一族をはじめとした親戚が相続し、睦雄たちがもらえたのは、事実上の手切れ金である少しの田畑と山林だけ。「ロウガイスジ」の烙印者のつらい宿命だった。

倉見と貝尾にはほとんど交流がなく、睦雄は長らくこの事実を知らなかったようだ。