「津山三十人殺し」の生き残りが語った、大量殺人鬼・都井睦雄の素顔

真っ先に、祖母を惨殺した理由
石川 清 プロフィール

10軒目は寺井倉一家だった。倉一(61)は村の分限者で、村の多くの女性と関係を持っていた。このため、睦雄は倉一に対し、並々ならぬ嫉妬や恨みを抱いていた。すでに睦雄の襲撃を予期していたのか、倉一の妻はま(56)は雨戸を急いで閉めて侵入を防いだ。

しかし睦雄は屋外からでもかまわず銃弾を撃ち込み、たまたま一発がはまの右腕に命中し、動脈を傷つけた。彼女は出血多量で12時間後に死亡した。倉一は母屋の2階に隠れて無傷で生き残り、その後昭和の後半まで天寿を全うした。

倉一宅襲撃後、睦雄は付近の山の方へ逃亡した。そして、その途中でも民家を1軒襲撃している。

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11軒目は隣の坂本の集落にある岡本和夫家だった。岡本家には当主の和夫(51)と妻のみよ(32)が住んでいた。かつて睦雄はみよと性交渉を重ねていたが、それが夫の和夫にばれ、彼は夜も妻を見張るようになった。みよも睦雄に対してつらくあたるようになり、睦雄はこの夫婦に対して恨みをつのらせていた。熟睡していた2人は猟銃の餌食となった。

犯行を終えた睦雄は山道を北に逃げ、荒坂峠へ向かった。午前3時過ぎには、逃亡する睦雄の姿が目撃されている。睦雄は開けた場所に出ると鉛筆で遺書をしたためて、自分の所持品を丁寧に地面に整理して並べた。そして、洋服のボタンをはずして、ブローニング銃の銃口を自分の心臓部にあて、足の指でゆっくり引き金をひき自決した。

遺書には村人への恨みがつづられていたのは、言うまでもない。最後には「思ふ様にはゆかなかった…もはや夜明けも近づいた。死にましょう」と記されていた。

以上が犯行の詳細である。