「津山三十人殺し」の生き残りが語った、大量殺人鬼・都井睦雄の素顔

真っ先に、祖母を惨殺した理由
石川 清 プロフィール

7軒目は寺井千吉家だった。5月は蚕を育てる時期で、母屋には家主の千吉ら5人、養蚕室には手伝いの女たち3人が寝ていた。睦雄は事前にターゲットの居場所をリサーチしたうえで、迷うことなく養蚕室を襲撃した。

そこには岸田みさ(19)、丹羽つる代(21)、千吉の息子の内妻である平岩とら(65)の3人が寝ていた。みさは一軒目の被害者であるつきよの娘で、睦雄が夜這いしようとして断られたことがあった。またつる代の兄の卯一は、寺井ゆり子の最初の夫で、ゆり子を愛していた睦雄から見れば恨むべき相手だった。一緒に寝ていたとらは巻き添えになり、3人とも銃弾を撃ち込まれて絶命した。

睦雄は続いて母屋に侵入して主人の千吉(85)を見つけて銃口をその首にあてたが、「お前はワシの悪口を言わなかったから堪えてやろう」といい、殺害しなかった。

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30人を殺害した睦雄の最期

8軒目は丹羽卯一家だった。卯一は異変を察知して警察へ通報に向かっていたが、家には母親のイト(47)がいた。イトは右太腿と左太腿にそれぞれ銃弾を撃ち込まれ、事件から6時間後に出血多量で苦しみながら死亡した。

9軒目は池沢末男家だ。ここには当主の末男(37)とその妻(34)、次男(12)、三男(9)、四男(5)、末男の父(74)、母(74)の7人が寝ていた。睦雄が最も憎んでいたと言われるのが末男の妹・マツ子であり、ここは彼女の実家だった。

彼女は睦雄と性的関係を結びながら、裏では彼のことを馬鹿にしていた。そのため事件以前から睦雄に脅されており、身の危険を感じてすでに京都の方へ逃げていたため、事件の難を逃れた。

睦雄は就寝していた次男と三男は襲わなかった。しかし、その他の5人には発砲し、末男以外の4人は殺害された。まだ幼いにもかかわらず、四男の小さい体には三発も銃弾を撃ち込み、死体からは肝臓や大小の腸が露出して、酷い死に様だった。この四男に対する過剰な暴力について、詳しいことはわかっていない。末男は竹藪に逃げ込んで、かすり傷ですんだ。