都井睦雄[ウィキメディアコモンズ]/Photo by iStock

「津山三十人殺し」の生き残りが語った、大量殺人鬼・都井睦雄の素顔

真っ先に、祖母を惨殺した理由
1938年5月21日未明、中国地方の山間部にある貝尾集落で悲劇が起こった。性的な関係を持った村の女性たちなどから馬鹿にされて恨みを抱えていた都井睦雄(とい むつお・22)は、斧や猟銃、日本刀で武装し、次々と村人を襲った。すでに3つの世帯を襲撃し10人以上の村人を惨殺した睦雄が、次の家へと迫る…。

凶行の前半に迫った記事はこちら→史上最悪の大量殺人「津山三十人殺し」猟銃と日本刀で村人を襲った男の真実

生き残った女性が語る、睦雄の姿

4軒目に睦雄が襲撃したのは寺井政一家だ。娘の寺井ゆり子(22)は睦雄の同級生で、彼が心から愛した女性とも言われている。しかし、遠方の男性に嫁ぎ村を出ていた。ただ犯行の直前にゆり子は里帰りしており、それが犯行のきっかけになったと言われる。睦雄はゆり子を恨んでいた。

津山事件の犯人である都井睦雄[ウィキメディアコモンズ]
 

睦雄はゆり子宅に侵入すると、ゆり子の父・政一(60)、弟の貞一(19)、貞一の妻(22)、妹とき(15)、妹はな(12)の5人を銃殺した。5人とも窓や廊下から屋外に逃げようとしているところに銃弾を撃ち込まれていた。

最後に殺された末っ子のはなは、窓から軒下に落ち、助けを求めて右手を前方に伸ばしながら、苦悶の表情で絶命していた。この頃になると、貝尾の住民たちは銃声を聞きつけて、目覚め始めていたようだ。

しかしゆり子はなんとか屋外へ逃げ出し隣の寺井茂吉家へ逃げ込んだことで、からくも生き残ることができた。私は彼女に直に会い、3時間ほど当時の話を聞いている。

開口一番、ゆり子は次のように私に語った(私は方言を解せないので、長女の方が通訳をしてくれた)。

「わたしは誰にも話してないんじゃあ。なさけないで、なさけないで。親が殺されて、兄弟が殺されて…。次々と同級生も殺されたんじゃあ。殺したむっつぁん(睦雄)も同級生じゃった…」

ゆり子は嫁ぐ前に、睦雄に襲われたこともあったという。