知的障害者はセックスしてはいけないのか?

タブー視される「知的障害者と性」
門下 祐子 プロフィール

知的障害者のニーズは汲み取られているのか

障害者におけるセクシュアリティ問題の枠組みについて、旭洋一郎(1993)は、「生物学的性(性別)」「生殖の性(妊娠、出産、子育て)」「快楽の性(セックス、マスターベーション)」「社会的性(性役割、ジェンダー)」とした。

その上で、一般的には妊娠、出産、子育てには社会的に要求される生活上の基準(社会経験・独立生活)があり、それをクリアしなければ許可・可能とはならない。それ故に障害者の「子育て」には困難が多く、障害者と「子育て」は結びつきにくいものであったと述べている。

さらに、快楽の性(セックス)は性的行為に伴う快楽そのものであり、豊かな人間関係と愛情の大きな支えになっているが、従来、「快楽の性」もまた障害者には考えられなかったし、自らも抑えることを余儀なくされていたと報告している。

もしも、知的障害のある人の恋愛する権利、性行為をする権利などが、「あなたのため」「あなたには無理」だからといって、家族や支援者の意図により禁止されていたり、最初から存在しないものとして捉えられていたとしたら……。彼らはその雰囲気を察して、不安や心配があっても決して口には出せないのではないだろうか。

そうなると、様々な性情報が氾濫しているインターネットやSNSに頼らざるを得ない。そこから、正しい情報にアクセスできれば良いのだが、その判断が難しい場合も予想される。セクシュアリティについて学ぶ権利は、障害者権利条約などで明文化されているにも関わらず、十分であるとは言えない。

社会は、知的障害者、とりわけ彼らの性的な事柄に対し、「見て見ぬふり」をしているのだろうか。いや、「見よう」ともしていないのかもしれない。

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学校教育や障害者福祉の現場が想定している知的障害者像も、「デートもしない、セックスもしない、結婚、出産、育児なんてあり得ない」というものではないだろうか。そのすべてが「彼らにはハードルが高すぎる」と決めつけられ、セクシュアリティに関する情報や教育は、「寝た子を起こす」という不安から遠ざけられる。

彼らは、いつまでも子どもで可愛い存在だから、余計な情報は与えずにピュアなままでいて欲しいという保護者や支援者の願いがあるのだろう。性知識という(余計なもの)を与えることで、不適切な行動が出現し、抑制できないのではないかと不安視するのかもしれない。

しかし、海外の研究から、知的障害者は、「セクシュアリティについてもっと頻繁に話したい」、「当事者自身の生活に合わせて段階的に情報を提供してほしい」との意見をもっていることが明らかになっている。加えて、セクシュアリティに関して、親や支援者以外の人がファシリテーターを務める話し合いなどを望んでいる。

 

筆者がこれまでに交流を深めてきた知的障害者らにおいても、からだの悩みや他者への興味関心、恋愛や将来の子育ての話など、セクシュアリティに関する話題が豊富であった。

日本国内では、そういった知的障害者のニーズにどれだけ応えられているだろうか。