明治時代の帝国議会の様子[Photo by gettyimages]

殴り合いは日常茶飯事…意外と暴力的だった明治・大正の議会

傍聴席から「馬糞」が飛んできたことも

議会の中で「馬糞」を投げる

「憲政の神様」と呼ばれる尾崎行雄は、明治期の帝国議会について、こう語っている。

其頃政治社会では暴行をする事が一種の流行となつて、…(中略)…末松謙澄君の議席に傍聴席から馬糞を投げたり、議員同士議場で殴り合をしたりナカナカ不穏であつた(『咢堂回顧録』)

1890(明治23)年11月、非西洋国で初めて本格的に機能した近代的議会である帝国議会が、日本に誕生した。世間は、「国会祭り」と称されるほどの大賑わいで、山車が引きまわされ、花火まで上がったという。まさに国をあげての一大事業であった帝国議会の誕生は、日本全国で歓迎されたのである。

「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄[Photo by gettyimages]
 

もっとも、いざ議会が開設されると、議会政治は多くの混乱に見舞われた。1892(明治25)年の第2回衆議院総選挙の際、選挙干渉により死者まで出たことは、よく知られている。実は、こうした暴力の波は、議会内にも及んでいたのである。

それにしても、馬糞が投げられたとは、なんとも穏やかではない事態である。これは1890年から91年まで、日本で初めて開催された第一議会の衆議院での出来事であった。『東京日日新聞』は、そのときの議会の様子を「異臭紛々、人席に堪えず」と報じている(1891年3月4日付)。さすがに、馬糞が投げられた例は、これが唯一である。

ヤジられたら、殴り返す

かたや、殴り合いの方は、それほど珍しいものではなかった。尾崎行雄は、その具体例として、盟友犬養毅を紹介する。舌鋒の鋭かった犬養は、衆議院議員中村弥六がある採決を欠席したことに対し、「オイ、幾ら取った」というヤジを飛ばした。中村が政府からの賄賂をもらい採決を欠席した、という意味である。

これに怒った中村は、議会内で犬養を殴りつけた。犬養は「許せ、悪かった」といいながら、これに全く抵抗しなかったという(『近代快傑録』)。