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菅義偉首相の卓越した「政治力」の原点をご存知か

「政治の師匠」の存在

「商工族のドン」

第99代内閣総理大臣の座を射止めた菅義偉首相の卓越した「政治力」の原点を探ってみたい――。

菅氏の政治キャリアを遡る。

1975年:衆院議員の故・小此木彦三郎元通商産業相の秘書(83年12月に第2次中曽根内閣の同通産相秘書官)、87年:横浜市議会選挙に出馬、初当選(市議を2期務める)、96年:衆院選立候補、初当選(以降8回当選)、98年:自民党総裁選挙で故・梶山静六元官房長官を支援(梶山氏共々、同党小渕派・平成研を離脱)、2002年:国土交通大臣政務官(第1次小泉内閣)、03年:経済産業大臣政務官(小泉第2次改造内閣)、05年:総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、06年:総務相(第1次安倍内閣)、08年:自民党選対副委員長(麻生内閣)、12年9月:自民党幹事長代行(野田第2次改造内閣)、同12月:官房長官(第2次安倍内閣)。

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衆院神奈川2区から国政選挙に打って出て初当選した96年10月総選挙以降の10年間弱のキャリアパスで看過すべきではないのが国交政務官と経産政務官の2回の政務官経験である。

これまでマスコミが殆ど指摘していないことだ。先ず、後者の経産大臣政務官。55年体制下の自民党では「族議員」という言葉が永田町・霞が関も含めて日常的に使われていた。その意味では、菅氏は03年前後の自民党で当時の用語「商工族」であった。事実、自民党政務調査会(通称「政調会」)経済産業部会の副部会長を経て政務官に起用された。

当時の自民党政調会経産部会には、部会長代理の山口泰明氏(現選対委員長)、副部会長の梶山弘志氏(現経済産業相)、平井卓也氏(現デジタル・IT政策相)がいた。因みに、菅氏の「政治の師匠」梶山静六氏は「商工族のドン」と言われた。まさに菅氏は梶山氏のDNAを引き継いでいるのである。