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「下半身のない海軍軍人」に「憑依」された女性の語り

津波が生んだ霊体験④
宮城県の古刹・通大寺では、人間に「憑依」した死者を成仏させる「除霊」の儀式が今も行われている。30人以上の霊に「憑依」されたことのある高村英さんと、その霊を成仏させた通大寺の金田諦應住職。二人に取材を続けてきたノンフィクション作家の奥野修司氏が、再び高村さんの語りに耳を傾ける。

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彼女が「霊を信じていない」理由

高村英さんが中学に入学する直前の男の子に憑依された体験を語ったあと、何気なくぼくに言った言葉がずっと気になっていた。

「私は霊を信じていないんです」

ぼくが霊を信じているかどうかと問われたら、むしろ信じていないと言ったほうがいいだろう。しかし、高村さんは霊に憑依された体験を語っているのだから、霊を信じていないというのは理解できない。ぼくは思い切って「どういうことですか?」と尋ねた。いつものように数秒ほど沈黙したあと、ぼくにこう言った。

「霊という言葉に抵抗があるだけで、存在を頭から否定しているわけではないんです。世間に広がっている霊のイメージに抵抗があるといえばいいでしょうか。 例えば、私は父を亡くしていますが、あなたのお父さんは幽霊になっているよと言われるのはあまりしっくりこないですよね」

「魂を否定してるわけではないんですね」

「全然否定していません」

「そうですか。ぼくは、『霊』は精神的な実体であって、タマとも読まれるように魂のことだと思っています。『幽霊』というのは、中世の怪談が謡曲や歌舞伎によって取り上げられるようになってから作られたフィクション、つまりお化けですね。『幽霊』と『霊』を混同されている方が多いんです。ぼくは、『霊』をいわば“死後の意識”と理解しています。死者の魂ですね」

「だとしたら、全然否定はしていません」

話し合うことで、「霊」に対する認識の違いはなくなったが、「除霊」や「憑依」については差が埋まることはなかった。金田住職がやっているのは「迷える霊」に成仏してもらうのだから、悪霊を取り除くニュアンスの「除霊」とは違う。しかし、他に言葉がないために便宜的に使っていると述べたが、やはり彼女は「除霊」も「憑依」も違和感があるという。その違いは、霊との距離感の差かもしれない。結局、認識の違いがあっても、相手が使う言葉を尊重して受け入れることにした。どう違うかはあえてぼくから説明しないが、彼女の表現からそれを感じ取っていただければいいと思う。

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この日は、仙台駅のすぐそばにある貸会議室で会うことになった。古いビルらしく、部屋は4階にあるのにエレベーターもなく、急勾配の狭い階段があるだけだった。もっとも部屋は明るく、申し分なかったのだが、換気をするつもりで窓を開けようとしたら、これがまったく動かない。

「自殺する人が多いからですよ」

彼女が私の背に投げかける。一瞬手が止まり、「するとこの部屋も……」

「この町ではよくあるんです」

この日はこんな会話からスタートすることになった。