10月13日 日本産飛行機が本格的な飛行に成功(1911年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1911年の今日、日本にとって初めての本格的な国産飛行機である「会式一号」が、所沢飛行場において飛行に成功しました。

「会式一号」とは、「臨時軍用気球研究会式一号機」の略称です。ご覧の通り、正式名称には飛行機の文字は含まれておらず、「気球研究会」とあります。それは、当時の陸軍が国産飛行機に現実味を感じていなかったからだとされています。

確かに日本でも、1903年のライト兄弟の飛行から飛行機に強い関心が持たれていました。しかし、その頃の日本はもっぱら気球を偵察に使っており、軍としては飛行機の実用化は時期尚早であると考えていたようです。

〈12月 17日 ライト兄弟が動力機で初飛行(1903年)〉

しかし、西欧の飛行機を研究するにつれ、日本も飛行機を製作し、日本人のパイロットによって操縦できるようにすべきだ、という考えが提唱されるようになりました。そこで、日野熊蔵(1878-1946)と徳川好敏(1884-1963)の2人が飛行機の操縦技術習得のために渡欧します。2人は、会式一号の名前の由来である「臨時軍用気球研究会」の委員でした。

 

2人は、ヨーロッパで4ヵ月ほど操縦技術を学んで帰国しました。そして購入した外国の飛行機に搭乗し、1910年に日本で初めて飛行機での飛行に成功します。これを受け、臨時軍用研究会は所沢を拠点として飛行機の国産化に着手しました。

これに際し、日野は独自の研究から、空気との熱交換で冷却するいわゆる「空冷式エンジン」の改良に着手します。一方、徳川は整備や飛行機の調整を指導し、購入していた「アンリ・フォルマン機」を改良した国産飛行機の完成を目指しました。

会式一号の原型となったアンリ・フォルマン機 Photo by Getty Images

そして、翌年の10月13日に徳川が完成させた「会式一号」が飛行に成功したのです。会式一号は、エンジンはおよそ50馬力、定員は2人であり、時速70kmほどで3時間走行したといいます。

会式一号機の初飛行の様子

実は、徳川よりも5ヵ月ほど早く海軍の奈良原三次(1877-1944)が飛行に成功していました。しかし、奈良原の飛行はおよそ60mに終わっていたため、徳川の記録が国産飛行機としては初めての本格的飛行とみなされることも多いのです。そして、会式一号の成功をきっかけに、国を挙げての飛行機研究が進むことになりました。