ドイツ統一から30年、9割が「生活に満足」の一方で今も残る「分断」

ドイツ人の変化、そして不安…
福田 直子 プロフィール

今も続く「オスタルジー」

東ベルリンのプレンツラウアー地区に住んでいた友人のカトリンはシャリテー病院の療法士として壁が崩壊する前から働いていた。

病院が「統一」されてからは西側からやってきた医師や看護師たちが増えたものの、幸いにも自分の仕事は継続された。しかし、何年たっても「東ドイツ人」として雇用された自分の給料は西ドイツ人の同じ職種の同僚よりも低い。

「東ドイツのすべてが悪かったわけではない」というのが東独人からよく聞く言葉である。

たとえば、統一されてからアレルギーが増えたということもあった。西側の食品は保存物が多いためにじんましんが出る友人が多かったとのこと。また、共稼ぎが90%であったため、新生児は数か月で保育園に預けられたために免疫力が鍛えられたためか、相対的にアレルギーが少なかったという。さらに食料事情も東西で約40年近く違ったことでガンの種類も違っていたという研究もあった。

 

不幸にもカトリンは数年前にガンで亡くなったが最後に会ったとき、シュプレー川下りで案内してくれた。その時、彼女が選んだのは「東独の船」で、「ほら、船内の飾りつけが東独的なのよ」とあれこれ説明してくれた。

消滅してしまった自分たちの国を懐かしく想う「オスタルジー」は有名無名を問わず、今も続いている。

東ドイツ時代は注文してから20年近く待たされることもあったという国民車のトランバントは再びコレクターの間で人気を呼び、東独時代に流行ったヒット曲のレコードは懐かしのメロディーとなった。

オリンピックで二度、金メダルに輝いたアイススケートのカタリーナ・ビットは「東独人の代表」ともみられていたが、現在も東ドイツの免許証で運転しているという。

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