関東にある男子校の「御三家」といえば、麻布・開成・武蔵――それは1960年代から変わっていないらしい。

中でも金髪でもOKな「自由な学校」として有名なのが麻布中学校・高等学校である。しかし自由な学校と超進学校というのが同時に成立するものなのか。自身も麻布の卒業生であるおおたとしまささんの最新刊『麻布という不治の病 めんどくさい超進学校』(小学館新書)を見ると、麻布の「自由な教育」が子どもを伸ばす理由が見えてくる。本書より麻布の創立者・江原素六氏の歴史を紐解いてみよう。江原氏がかかわった一見更生施設かと思うような学校の状況が、今の麻布の根幹にはあった。

維新の負け組が譲り受けたキリスト教の学校

東京都港区にある麻布中学校・高等学校は、戦後の中高一貫教育体制が整った第1期生以降60年以上連続で東大合格者数トップ10から一度ももれたことのない全国の唯一の学校だ。それだけの超進学校でありながら「自由な学校」の代名詞としても知られている。

麻布中学校・高等学校があるのは六本木ヒルズやミッドタウンもほど近い元麻布エリア。都心でありながら緑あふれた環境で、御三家の中でも断トツの「都会にある学校」ともいえる Photo by iStock

ただし、単に「自由」「放任」なのではない。子どもたちを信じて見守る大人たちの覚悟が、創立以来脈々と受け継がれているのである。

その源流が、旧幕臣の創立者・江原素六だ。戊辰戦争後は朝敵として追われた人物だ。それがキリスト教に改宗し、経営難に陥っていたミッションスクールを譲り受ける。要するに麻布とは、明治維新の負け組が、なりゆき的にキリスト教の学校を譲り受けたものである。しかし江原さんはそれを最大限に活用した。

政治家として自由民権運動に直接的に関わるなかで江原さんは、国の中枢を担うエリートの良くも悪くも強烈な個性を間近に観察していた。その圧倒的にリアルな肌感覚に基づき、「官」に対するアンチテーゼとしてそして民主主義の担い手の育つ場として、麻布を磨き上げた。

ではどうしたらアクの強いエリートたちとも対等に渡り合える若者を育てることができるのか。その答えはシンプルだった。1903年(明治36年)の著書『青年と国家』(金港堂)に記述がある。

江原素六の想いが綴られている『青年と国家』

西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らを例に挙げ、彼らのように新しい社会を構築する人物を旧体制の中で意図的に育てることなど原理的にできないのだから、青年が自らたくましくのびのびと成長するのを最大限後押しするしかないじゃないかというのである。要するに古い人間は黙って青年を信頼しろというわけだ。