コロナ禍で凶暴化する「同調圧力」の時代を生き延びるために

情・絆・気持ちが支配する「世間」
鴻上 尚史 プロフィール

何よりも「世間」を優先する日本人

東日本大震災で、暴動や略奪が生まれず、「優しい人達」という印象を持って日本にやって来た外国人は、例えば駅のホームでベビーカーを抱えてふうふう言いながら階段を登っていく女性を誰も助けない日本人を見て「信じられない」と驚くのです。私の国なら、間違いなく、すぐに誰かが手助けするだろう。日本人は冷たい民族なのかと。

でも、私達日本人はすぐに分かります。冷たいのではなく、ベビーカーを抱えて階段を登っている女性は「社会」に属している人で、どう声をかけていいか分からないだけだと。

 

去年、台東区で台風の時に避難所に来たホームレスが受け入れを拒否されたという出来事に、ブレイディみかこさんは衝撃を受けたと僕に語りました。

もしそのホームレスが亡くなったら、自分は人殺しをしたことになる、職員にその恐怖はなかったのかと。

でも、日本人としてすぐに分かるのは、恐怖を感じることよりも避難所の「世間」を守ることの方が彼にとっては重要事項だったということです。

大阪では、集合住宅に住んでいた36歳の男性が、くじ引きで「班長」を決める時に、知的障害や精神障害があるので引き受けられないと伝えると、当時の自治会長や班長は「しょうがいがあります」「おかねのけいさんはできません」と紙に書かせ、さらにそれを他の住民に見せると伝えました。

この男性は、翌日、自殺しました。

この哀しい出来事も日本人なら理解できます。自治会長や班長は、とにかく「世間」を納得させるために、36歳男性の気持ちやプライバシーは問題にしなかったのです。

「世間」が、「どうしてあいつだけ特別扱いなんだ?」と言い出すことをなによりも恐れたのです。台東区の職員と同じく、個人の尊厳や生命よりも「世間」の方が重要なのです。

情・絆・気持ちが支配する「世間」

佐藤直樹さんによれば、「社会」は「法のルール」で動いています。

けれど、「世間」には、明確なルールはありません。あるのは、「情」とか「絆」「気持ち」です。

世界には、「世間」と呼ばれるものはありません。ですから、日本のように「自粛要請」ではなく、「ロックダウン」という法のルールで人々の活動を禁止しました。

法律ですから、破ったら罰則があります。罰金がいくらとか、悪質な場合は禁錮刑とか、です。

日本の場合は「自粛要請」「緊急事態宣言」で、世界の「ロックダウン」とほぼ同じ効果を得ました。麻生太郎財務大臣の言葉だと「民度」が世界と違うからです。

僕の言葉だと「民度」は「同調圧力」そのものです。そして、違反した時の罰則は、「緊急事態宣言」が解除された今も「自粛警察」が担当し続けています。

青森に帰省した男性の家に「さっさと帰って下さい‼ 皆の迷惑になります」と書かれた紙が投げ込まれました。

愛媛県今治市では、「この顔にピンと来たらコロナ注意」と特定の男性を新型コロナウイルスの感染者だと中傷するビラがまかれました。

これらは、「法のルール」とはなんの関係もありません。