釜石で緊急事態宣言後初のラグビー試合に臨んだヤマハ15の熱き想い

東日本大震災から9年続く交流の絆
大友 信彦 プロフィール

五郎丸が気づかされた「スポーツの原点」

同じ思いを抱いていたのが、9年前の試合でゲームキャプテンを務めていた五郎丸歩だ。

「これが、本当に地域に愛されるチームなんだと思いました」

 

五郎丸は、9年前の経験をそう振り返った。五郎丸は、2日前まではこの日の釜石に来る予定はなかったが、リザーブに入っていった若手バックスの矢富洋則が2日前の練習で負傷。五郎丸がリザーブ要員として繰り上がり、釜石遠征に加わった。

ヤマハ発動機ジュビロの五郎丸歩

「急遽来ることになったけど、来るべくして来たのかな、と思いますね」と五郎丸は笑って、続けた。「釜石に来るのは6回目ですよ」。震災のあと、五郎丸はワールドカップの普及イベントやヤマハのチームに帯同するなど、何度も釜石訪問を重ねていた。

「釜石で試合をすることは、僕にとってもヤマハにとっても、ラグビーをする原点であり、原動力になっています」と五郎丸は言った。

「スポーツはエンターテインメント。自分の生活があって、そこにプラスアルファの要素として楽しめたらいいと思うけど、それだけではないんですね。僕は9年前に、釜石で、あれだけの災害に見舞われてもシーウェイブスを応援してくれるファンの姿を見て、スポーツをする原点を教えられました」

2011年、五郎丸はゲームキャプテンとして試合に臨んだ。五郎丸の頑健な肉体は釜石の選手たちのタックルを受けても微動だにせず、戦艦のごとく突き進んでは味方にパスを送り、トライの山を築いた。タッチライン際からの難しいゴールキックも正確に蹴り込んだ。

2011年6月の試合。頑健なフィジカルを誇る五郎丸にシーウェイブスは果敢に挑んだ

手を抜かずに、真剣なプレーを見せることが、ここを訪れた自分たちのつとめだと思った。そして試合が終わると、五郎丸らヤマハの選手たちには、本当に温かい拍手が贈られた。

「来てくれてありがとう~!」
「良い試合を見せてくれてありがとう~」

試合の前には、早大の同期で、日本代表でも長くともに戦った畠山健介の両親が会いに来てくれた。畠山の実家は釜石からも近い気仙沼にあり、やはり津波に襲われ流されていた。大変な思いをしているのは自分たち。なのに畠山の両親もまた「良く来てくれたね、本当にありがとう」と五郎丸らヤマハの選手にねぎらいの言葉をかけてくれた。

2018年8月の鵜住居オープニングDAY、五郎丸は老若男女のファンに囲まれ続けた

自分たちが全力でプレーする姿を見せることは、辛い状況に置かれている人たちを勇気づける――それまでも言葉で聞いていたことだ。だがそれを肌で実感したのは初めてだった。

実は、震災後の釜石を訪れる前、ヤマハもまたチーム存続の危機を経験していた

2009年、リーマンショック後の経営不振に伴い、当時の社長が本業以外の活動を縮小する方針を発表。ラグビー部もその対象リストに入れられた。外国人プロ選手は解雇され、日本人の社員選手も多くの主力選手が他チームへ移籍した。

2010年、チームは消滅の危機と背中合わせでトップリーグを戦い、入れ替え戦を経て辛くもトップリーグに残留した。新たに就任した柳弘之社長はラグビー部の存続と再び頂点を目指すことを明言した。2011年は、再建を託された清宮克幸新監督のもとで、新たなスタートを切ろうとした矢先だったのだ。

その時期に、天災でチーム存続の危機を迎えながら、地域に愛されて活動を続けているチームの姿を見た。ファンの姿を見た。

「釜石で試合をさせてもらって、本当に大切なことを教わりました。地域に愛されるチームとはこういうものなんだ、我々もこうならなければと思った」

それが、五郎丸が釜石で気付かされた「スポーツの原点」なのだ。

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