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竹中平蔵氏、じつはかつて「公共投資の拡大」を声高に主張していた

自在に変わる思想と「アメリカの影」

竹中平蔵氏と言えば、小泉政権で「構造改革」の旗振り役となったことで知られている。そのときの彼は、公共事業、政府支出を減らせという、極端なまでの「緊縮財政論者」だった。いわゆる「身を切る改革」である。公共事業が生産性の低い「ゾンビ企業」が生きながらえさせているせいで日本経済は停滞している、との主張だ。

ところが、じつは1990年代のはじめ、竹中氏は、「公共事業の拡大」を声高に主張していた。アメリカが日本に内需拡大を強く迫った日米構造協議の直後のことだ。アメリカの経済エリートたちの側で日米構造協議を見ていた竹中氏は、彼らの影響のもと、まるでアメリカ政府の尻馬に乗るように日本政府に巨額の公共事業を迫る主張を繰り返していたのだった。当時の事情を、ジャーナリストの佐々木実氏による竹中氏の評伝『竹中平蔵 市場と権力』より紹介する。

「外圧」の必要性を説く

日米経済関係のエキスパートになった竹中が日本社会を変革するカギになると期待したのは、アメリカの「外圧」だった。

日米構造協議が終わったあと、「スーパーSII始動させよ」(『日本戦略宣言』講談社)という文章を竹中は書いている。SIIというのは先述のとおり日米構造協議の略称である。日米構造協議をさらに拡充したような日米経済協議を新たに始めるべきだという主張だ。この文章のなかで、竹中は「外圧」の必要性を説いている。

 

日米構造協議以降、竹中は日本とアメリカの経済交渉をアメリカ側交渉当事者たちのそばで観察していた。その体験は、言論活動に色濃く反映されるようになる。