岸部四郎、マモル・マヌーともに71歳の死…「GSブーム」とは何だったのか

若者たちが熱狂したあの時代
小泉 カツミ プロフィール

通好みだったザ・ゴールデン・カップス

マモル・マヌーがいたザ・ゴールデン・カップスは、横浜で結成されたバンドだった。

マモルの本名は、三枝守。山口県生まれだが、生後間もなく家族は横浜に移り住み、母親の姉がハワイ出身の米軍人と結婚したこともあって、米軍キャンプに出入りしたり、叔父のレコードでアメリカン・ポップスに親しみ、いつしかバンドのボーカルとして活動を始める。そして66年、デイブ平尾の誘いでドラム兼ボーカルとしてバンド「グループ・アンド・アイ」に参加する(後のザ・ゴールデン・カップス)。

ザ・ゴールデン・カップス。左からルイズルイス加部、ケネス伊東、デイヴ平尾、マモル・マヌー、エディ藩
 

バンドのメンバーは、写真左からベースのルイズルイス加部、ギターのケネス伊東、リーダーでボーカルのデイヴ平尾、ドラムのマモル・マヌー、ギター&ボーカルのエディ藩である。

お気づきだろうか。全員が外国人のような芸名である。これは、ザ・ゴールデン・カップスを売り出す際に「ハーフ(混血)グループ」という触れ込みで売り出されたからである。現在では考えられないが、当時はそうした売り出し方が平気で行われていたのだ。

ちなみに、メンバーで「ハーフ」と呼べるのは、日系アメリカ人2世のケネス伊藤、父がフランス系アメリカ人であるルイズルイス加部、そして日本国籍を取得した華人であるエディ藩。マモル・マヌーのマヌーは、米軍人の叔父の姓「マヌー 」をいただいたものだ。

グループ・アンド・アイは、地元横浜で活動していたバンドからベスト・メンバーを集めて結成された。そして本牧のクラブ「ゴールデン・カップ」のレギュラー・バンドとして活動を開始し、66年にテレビ初出演を果たすと、評判が知れ渡り、レコードデビューが決まり、ザ・ゴールデン・カップスに改名し、67年に『愛しのジザベル』でデビュー。68年には、『長い髪の少女』が発売され、オリコン14位、35万枚のセールスを記録する。さらに、『愛する君に』などヒットが相次ぐが、カップスはコンサートなどではそれらの曲を披露することはなく、もっぱら当時のアメリカやイギリスで流行していたジミ・ヘンドリックス、マディ・ウォーターズ、クリームなどのロックやリズム&ブルースのカバー曲を演奏していた。

アイドル的なGSブームの中にあって、その存在と圧倒的な演奏力は、音楽ファンにも支持されていたのだ。