【科学で検証】太平洋戦争中、日本の軍艦が次々と沈没していったワケ

設計からして、そもそもダメだった…
播田 安弘 プロフィール

しかし米国の設計思想はそもそも、損傷したときにいかに被害を小さく抑えるかというダメージコントロールを重視していました。この違いが結果的に、太平洋戦争での1等駆逐艦の沈没数が日本は128隻、米国は71隻という差となって現れたのです。

駆逐艦は見直されたが…

太平洋戦争における海軍の基本戦略は「アウトレンジ作戦」でした。国力が違いすぎる米軍とは四つには組まず、前哨戦で戦力をできるだけ削ってから艦隊決戦に持ち込み、リーチの長い大型戦艦で遠くから決定打を放つという構想です。大和が建造されたのは、そのためでした。

ところが、大和の周囲を固めるべき巡洋艦や空母、駆逐艦などが欠陥によって次々と沈められ、艦隊決戦を挑む前に艦隊の編制が難しくなっていったのです。

1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦は、敗色濃厚となった終戦前年にようやく訪れた、艦隊決戦の機会でした。しかし結局は、武蔵ほか戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦9隻、空母4隻が沈没し、帝国海軍はこれをもって事実上、壊滅しました。

レイテ沖海戦に出撃する艦隊。右から戦艦の長門、武蔵、大和、重巡洋艦の摩耶、鳥海、高雄、愛宕、羽黒、妙高といわれる(ウィキメディア・コモンズ)
 

さきほど表に掲げたように重巡洋艦では「愛宕」「摩耶」「鳥海」「筑摩」の沈没と、「妙高」「那智」「熊野」「青葉」「高雄」の航行不能は、縦隔壁が原因と思われます。大和はついに艦隊決戦を戦うことが不可能となり、ここに海軍の基本戦略は完全に潰え去ったのです。

じつは、その少し前に、駆逐艦はあまりにも沈没が多いことから遅まきながら設計が見直され、米国のようにボイラー室とタービン室を交互に配置した松型駆逐艦がつくられました。コストを切りつめた二級品でしたが、魚雷攻撃への耐性はかなり高くなり、「これで生きて帰れる」と乗員には好評だったようです。

巡洋艦にも欠陥があることに、誰も気づいていなかったとは考えにくいところです。しかし、「神様」が入れた縦隔壁が撤去されることはありませんでした。私はあの戦争には、こうしたことがいくつも積み重なっていたような気がしてなりません。そして、同じようなことは戦後75年以上たったいまも、あちこちで起きているように思われるのです。