すべて見抜かれていた
もう二度と書かない、と久々の外出だったのに、和食料理屋で号泣したとき、わたしが飲んでいたのはコカ・コーラで、座っていたのはカウンターの一番端の席だった。
店内は常連客で賑わっていて、後ろのテーブルもすべて客で埋まっていた。しかし、わたしの頭はとし子さんのことでいっぱいだった。前作で群像新人文学賞を受賞した年、とし子さんは『群像』の編集長で、わたしが散々お世話になった方だ。

何かと騒ぎ立てて、やっと形にすることができた新作『pray human』は、とし子さんと約束していた小説だった。
主人公の「わたし」が十年前に入院していた精神病院で、同室だった友人「君」に病棟での日々を回想するところから物語は始まる。前作にも、少しだけ精神病棟の場面がある。しかし、それは元の原稿から大幅に短くしたものだった。
わたしの記憶が正しければ、別の編集者と打ち合わせ中に外出先からとし子さんが編集部に戻ってきて、
「崔実さん、まだいた! 良かった、実は話したいことがあって。あの精神病院のとこだけど、削ってみてはどうかな、と思ってさ」と提案してくれたのだ。
「実はそうしてもらえると物凄く嬉しいです」
「がはは、やっぱり」
「でも、これを書いていたときは——」
「うん、書くしかなかったと思います。じゃ、精神病院のところは削りましょう」
といった具合に、すぐに決まった。もちろん、この通りの会話というわけにはいかないけど。
とし子さんにはすべて見抜かれていた。例えば、不安で後から書き足した文章は、後から付け足した感じがするね、とはっきり指摘されたし、自分にとって凄く大切だった箇所も、ピンポイントでそれとなく触れてくれたのだ。
そして、初めて食事に行ったとき、
「おかえり」
と、とし子さんはワインを飲みながら言った。わたしはひと言も、自分に居場所がなかった、なんて話はしていないけど、とし子さんはわたしの顔を見て、そう言った。
「崔実さんの帰ってくる場所はあったんだよ、ここにさ。本当に、おかえりなさい」
そうか、わたしはこの瞬間のために小説を書いたのかもしれないと胸が熱くなった。あのとき、とし子さんには魂を救われた。