高校時代、緒方貞子さんの姿に感化

それにしても、なぜアフリカなのか。
きっかけは、日本人初の国連難民高等弁務官であった緒方貞子さんだ。高校時代、緒方さんの活動を報じるテレビ番組を観て感化された。

そのときの様子を、母であり、ビジネスパートナーでもある律枝さん(63)はこう振り返る。
「学校の世界史の授業でドキュメンタリー番組を見たそうで。家に戻ったと同時に、
『お母さん!こんなに素晴らしい女性がいるんだね。私、こういう人になりたい』と感動をそのまま話してくれました」

日本人で初めて国連難民高等弁務官となった緒方貞子さん。写真は2000年2月、チェコ共和国のプラハで記者会見に臨む緒方さん。コソボの難民問題にも尽力した Photo by Getty Images

静岡県静岡市で生まれ育った。
1男3女、4人きょうだいの第一子。弟が生まれた3歳で、一瞬行方不明になり母を慌てさせる。母が近所の薬局に粉ミルクを買いに出たほんの少しの間にいなくなったのだ。真っ青になった律枝さんが探しに出ると、交番の椅子に座って警察官とおしゃべりする娘の姿があった。
「うちのお母さんはどこに行ったんでしょう?ミルクを買いに行きました」

幼稚園時代は仲間を集めて劇をした。自分でシナリオを書いて、友達に「あなたは人間だけど犬の役ね。演技はこうやって」と、キャスティングをして演出もした。

父・正さん(62)が単身赴任だったため、母の子育てを長女として支えた。高校3年時は、一番下の妹を毎日幼稚園に送り届けてからダッシュで登校した。遅刻するのではとハラハラした律枝さんが「私が連れて行くから、もう連れて行かなくていい」と止めると、仲本さんはこう言った。
「お母さん、もし遅刻したとしても、その遅刻には意味があるんだよ。私がこの子と一緒に通うのはこの1年しかないんだよ」

アスファルトの白線をふたりで遊びながら踏んで歩き、時には妹を抱えて幼稚園に走った。
「あら、仲本のお母さんよ」と近所で有名だった。

中高一貫の難関女子校でコーラス部。ミュージカルの脚本を書いた。高校生活を謳歌しながら、大いに勉強した。
帰宅すると、制服のまま部屋に山積みになった本を引っ張り出して、朝まで勉強する。そのまま制服を着替えずに登校することもあった。
「お母さん、今日はすっごく早く支度ができたわ」
ズボラさに呆れつつも、律枝さんは笑顔で見守った。

成績は常にトップクラス。生来の負けず嫌いも手伝って、成績を落としたくなかった。
「女子校で本当に良かったと思います。リーダーシップを取るのも女子、そこについていくのも女子。リーダーシップをとることも協働することも自然にできた。地方だからでしょうか。共学だと、男子がやる、みたいな風潮がまだあったと思うので、女子校だとは~いと気軽に手を挙げてやれた。バイアスがなく、いろんな経験ができたと思う」(仲本さん)