いま、「教養」が注目されている

生き馬の目を抜くビジネス書の棚に「教養」という言葉の入ったタイトルが目立つ。いわゆる、アート志向、読書のススメ、一流ビジネスマンの証しとしてのワイン知識など、かつては、文芸、芸術、趣味コーナーのラインナップだったタイトルが、会社での出世術、経営ノウハウ書と並んで存在感を放っている。

教養とは、辞書的に言うのならば、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」であり、「社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識」を指す。

一昔前には、「それって修得して意味あるの?」という、どちらかというと、ヒマで時間がある人たちの趣味のように考えられていた教養が重みを増してきたのは、この激動の時代ゆえだろう。いい大学を出て、会社に入った後は終身雇用で安泰。思考停止でもって、おのれの生き方を会社の仕組みや周囲に合わせたほうが身のため、という昭和的な処世術の中では、多面的であり、反常識がまかり通る豊かな教養というものは、かえって人生や仕事に支障が出てしまうシロモノだった。

〔PHOTO〕iStock

しかし、人生100年時代を迎え、コロナ禍という不測の事態(本当に! )までも登場した乱世であり、かつ、ネット/SNSがもたらす情報過多の「何が本当か分からない」時代には、ノウハウという即時性の付け焼き刃では太刀打ちできず、「本物」を見分ける能力が必要になってくる

この「本物」は、経済にしろ社会問題にしろ、戦争にしろ、たいてい人間の本質と大きく関わっている事象なので、才能ある作家たちが格闘した結果である古典文学などが、結果、本質的な問題を見分けるのに役に立ったりする。コロナ禍でカミュの『ペスト』が改めて読まれたこともそれを証明している。

そう、教養とは、人を惹きつけカッコ良く見せるための知的アクセサリーではなく、自分を生かしつつ、現実を生き抜くための筋力や反射神経に近いものになったのである。