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環境保護はそんなに儲かるのか?――膨大な対策費が闇に消えている

環境保護活動家はまるで現代の犬公方

自分の家の掃除はすべきだ

例えば、自分の部屋(家)を掃除したり片づけたりするのは「個人の自由」であり、むしろ健康で文化的な生活をおくるために奨励されるべきことである。

ごくわずかの例外を除いて「ゴミ屋敷」に住みたいと思う人はいない。また、「ゴミ屋敷」は近隣の迷惑でもあるといえよう。

さらには、自分の家の前の道路だけではなく向こう三軒両隣の家の前も清掃する人は親切と言えるであろう。また、駅前や公共施設の清掃奉仕を行う方々にも頭が下がる。街が清潔・クリーンであれば、人々の心が豊かになり治安も維持され暮らしは快適になる。

人間が自らの周りの「環境」を改善・改良することによって、より快適な生活を追求してきたことは間違いない。実際、先進国の街並みはどこも整然として美しい。

しかし、そのような「生活環境」を整えることと、ヒステリックに「環境保護」を叫ぶこととは似て非なるものである。

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自分の身の周りの「生活環境」は具体的に理解できるが、活動家が叫ぶ「環境」は漠然としたものであり、「何をどうすべきか」という問いに対する科学的答えが全くと言ってよいほど存在しない。

また、例えば向こう三軒両隣の家の前を掃除する代わりに、その家の人々に「あなたの家の前の掃除がなっていないから、後でちゃんと掃除してくださいね」と言ったり、ゴミ出しの日に、出されたごみの内容をチェックして「このゴミ、今日じゃなくて火曜日ですから……」というような人々はどう思われるだろうか?

私が見る限り、ほとんどすべての環境保護活動家がやっているのは、この「自粛ポリス」と同類の「ご近所ポリス」の行動のスケールを大きくしただけに過ぎない。

「自分の考えが正しい」と他人に押し付けるのが環境保護活動家の典型例だが、彼らの「環境保護を行うべき」という根拠は極めて薄弱だ。

 

ただ、「わが街美化キャンペーン」に正面切って反論するのが難しいように「環境保護」に対して真正面から反対するのは難しいともいえる。