日本は紛れもなく“化粧品大国”。欧米の大手化粧品ブランドが競うように“日本向け製品”を開発するほど、巨大かつ重要なマーケットを持っています。ましてや国内にある化粧品メーカーの数は数千社とも言われ、日本ほど「国産化粧品」を多く持つ国も他にありません。

そんな市場を牽引してきたブランド、群を抜く研究開発力を持つメーカー、自らマーケットを拡大してきた流通まで、「日本のビューティ」を世界に誇れるものにしてきた JAXURYの主役たちをここにレポートし、その功績を讃えます。

そもそも『JAXURY』とは?
FRaUが発信する、世界に誇れる日本の美しさ「JAXURY」を徹底解説!
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140年前からJAXURYを意図していたブランド

日本に息づくラグジュアリー、日本独自のラグジュアリー、それはどこにあるのだろうと考えた時、最初にその存在が浮かんだのが、他でもないこの資生堂であった。
もちろん日本の上質を丁寧に紡いできたブランドは他にたくさんある。そういう意味で資生堂は、様々な側面を広く持ちすぎているから、つまり企業として大きすぎるから、ラグジュアリーという一言で語ろうとするのは少々危険なのかもしれない。

でも改めて資生堂というブランドを、それこそいろんな角度から見てみた時、実は非常に驚いたのだが、どこから斬っても、ラグジュアリーがにじみ出てくる。それこそ1000円のおしろいからさえ。“日本におけるラグジュアリー”をなんとか具現化しようという強い意志が、ほぼ全ての側面から溢れ出てくるのである。
今、私たちは、日本のオーセンティック・ラグジュアリーを「JAXURY」という言葉でくくり、様々な角度から定義付けようとしている。でも資生堂という企業は、実に約140年前となる創業時から、JAXURYをすでに意図し、標榜し続けてきたような気がしてならないのだ。

資生堂の歴史を象徴する存在として「オイデルミン」という赤い化粧水がある。形を変え今も販売されているが、それまで洋風調剤薬局であった資生堂が初めて開発した化粧品が、ギリシャ語で「良い肌」を意味するこのオイデルミンであったのだ。
「皮膚を艶美滑沢ならしむる高等の化粧料」として、当時としては異例の高額商品であったにもかかわらず大ヒットを記録している。発売当時のアールデコなデザインを彷彿させるレトロなボトルが今も売られているのは、資生堂の中にラグジュアリーの血が綿々と流れていることを象徴するよう。

100年以上前に生まれた化粧品にここまでときめくものなのかと思うほど美しい化粧品たち。レトロという領域を超え、あくまでも普遍的な、現代に通用する美しさを持っていた。

これに続く「花椿」という名の香水、最近復刻版が登場した「七色粉白粉」の美しさは今見てもため息が出るほど。そして、何よりも日本最古の画廊は「資生堂ギャラリー」であったこと、知っていただろうか。資生堂は化粧品メーカーである前に、文字通り美と文化の担い手であろうとしたのだ。創業から今日に至るまで。

1917年発売の香水「花椿」。
日本における最古の画廊は、ここ資生堂が作っていた。今も銀座が“画廊の街”なのはそのせいなのかもしれない。常に最先端のアートを探し求める使命感は、改めて驚かされるほど。現在も極めて実験的な展覧会の開催に挑んでいる。

資生堂ギャラリーは今も極めて実験的だし、伝説のPR誌「花椿」も前衛的なまでに先進性を優先してきた。しかしそれは欧米的な文化の焼き直しでは全くなく、日本の伝統美にどこかで軸足を置きながらも、世界に通用する、いや世界の先を行く意匠に常にこだわり、いかにアバンギャルドな表現も臆することなく形にしてきた。そこには欧米に対して一歩もひかないラグジュアリーが息づいている。自分たちの感性と創造性は、明らかに先頭を走っているのだ、という自負がまざまざと感じられるのだ。