父親になるのが怖かった男の「乾いた心」を満たしてくれた、子供の力

短期連載「娘と私の成長記録」(3)
仙田 学 プロフィール

泣いていたのは、小さくて皺くちゃで血まみれの、肉の塊だった。その形と色を見た直後、私は分娩台から離れてトイレに駆けこんだ。

そして吐いた。

立ちこめる羊水と血の匂いに、大酔い状態で数十分タクシーに揺られていた胃は耐えきれなかったのだろう。

うがいをして分娩台の横の椅子に戻ると、助産師さんが“タオルにくるまれた物”を持ってきて私に渡した。

初めて両腕に抱いたそれは暖かく柔らかく軽く、アルコールとは全く別のもので私の体を奥のほうから丁寧に温めていった。

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――かわいい? 写真撮ってあげて。動画も撮ってあげてね。

ついさっきまでライオンみたいに叫んでいた元妻は、いつも以上にいつもの声でそう言った。

――ありがとう。

胸のなかはそのひと言でいっぱいになったが、私はその言葉を伝えられなかった。ただ腕に抱いている肉塊から伝わってくる安心感と喜びに陶然としていた。

妻に「抱っこ」と泣く子ども

――かわいいなあ。

1ヶ月後に元妻が実家から吉祥寺のアパートに戻ってきて3人での暮らしが始まったとき、子どもの顔を見るたびに心のなかでそう呟いた。元妻の前ではその言葉を言えなかった。

 

彼女が風呂に入っているあいだに、子どもの頬っぺたや手を触って、「うー、あばばば」と子どもの声を真似して話しかけた。

私はその頃、カエルになりかけの手足の生えたオタマジャクシのような、親になりかけの子どもだった。

心のなかにぽっかりと空いた穴を子どもは満たしてくれた。いや穴は空いたままだったが、穴からでていくより遥かにたくさんのものが雪崩れこんでくるのだ。